"ピースあいち戦跡ツァー 初秋の伊那路を訪ねて    
ボランティア・戦跡班 小島久志



 10月14日(月)体育の日、好天に恵まれ、ピースあいち初秋の戦跡ツアーが始まりました。
 一社駅東メガワールド前に45名全員が参集、高野山バスに乗車、定刻の8時30分に出発、伊那市を目指し中央道を快走。車中では全員の自己紹介。引き続き佐藤和夫さんから伊那食品工業㈱ 「かんてんぱぱ」に係る会社概要の案内があり、ヘルシー食材・天然水・お土産など楽しい話題がひろがりました。

絵はがき

かんてんパパのお弁当

 先ずは 最初の訪問先「かんてんぱぱ」でちょっと早めの昼食。緑に囲まれた“ひまわり亭”で関連会社“ぱぱな農園”(65才以上を再雇用)生産の新鮮野菜や寒天素材をふんだんに用いたサラダ・主采・デザート等で元気をいただき、“ショップ”ではそれぞれお買い物を楽しみました。

絵はがき

久保田誼先生に説明を聞く

 次の訪問先、伊那市「元陸軍伊那飛行場跡」に向う車中で、久保田誼先生(上伊那郷土研究会)からDVDにて伊那飛行場の歴史を学びました。
 陸軍伊那飛行場は、1943年 埼玉県熊谷陸軍飛行学校の航空兵養成に供する飛行場として建設され、1945年には岐阜県の陸軍各務原航空廠の伊那出張所を併設、さらに中島飛行機半田工場の疎開に付帯する飛行場としての役割が加わり、第2飛行場の建設も進められた…などの経緯を伺いながら12時30分現地着。久保田先生の案内で滑走路跡の周回路をバスで巡り、戦争遺跡として保存されている「格納庫遺構」や久保田先生宅に現存する「被弾痕が残る弾薬庫」も見て回りました。

絵はがき

 今回の最終視察先、下伊那郡阿智村の「満蒙開拓平和記念館」に向かう一時間半程の車中で、語り手の平田和香さんの活動である紙芝居のDVD(愛知県で唯一の満蒙開拓団について)とお話しで、国策に翻弄された開拓移民の惨状に想いを寄せ、平和の尊さを後世に継承してゆく責務の重大さを痛感しました。
 記念館では“セミナールーム”で三沢亜紀事務局長から事業目的等の解説を聞き、引き続き映像で体験者の証言に接しました。
 館内はコンパクトながらよく整備され、中高生にも伝わるようにとの配慮も見られ、実体験の証言文書の展示、絶望の彷徨・失意の帰還など、スケッチ画を掲出する工夫も参考になりました。
 時間の制約で見逃しが多く、残念な思いで退出、門前で記念写真を撮り帰途につきました。

 途中、中央道で渋滞し一時間ほど遅れて一社駅前に無事帰着、楽しい一日を歓びあい解散。次回の企画に想いを馳せながら家路に着きました。

   

*満蒙開拓団
1931年の満州事変後、農村の人口過剰や貧困対策にと国策で中国東北部に渡った農業移民団。45年8月9日、ソ連の参戦で開拓民は見放されてソ連軍や中国人らに襲われ、集団自決や飢餓・酷寒で多くの犠牲者が出た。
敗戦時、旧満州に居た日本人155万人の内 約20万人が引揚げの際に死亡。その4割は元開拓民であった。また見捨てられた残留婦人・残留孤児も多発した。