なんとも不思議な広告                             倉橋 正直


 戦争中の『東京朝日新聞』を見ていたら、なんとも不思議な広告を見つけたので紹介する。



『戦争が十年つづく』と思って,女の人は『十年』身も心も若くして下さい。
けばけばしくない、ヒフのきれいなので、且つ、最も経済的に。
そして元気でゆけば、十年位、へっちゃらでせう。
パピリオ
世界的作品/粉白粉/口紅/頬紅/クリーム
(『東京朝日新聞』 昭和15年(1940年)1月12日)


 パピリオという化粧品の広告である。『東京朝日新聞』では、この日にたった一回掲載されただけで、前後の日には掲載されていない。他紙に同じような広告が掲載されたか否かは不明である。
 紙面の下段に17の広告がまとめて掲載されているうちの一つであって、隣にキングレコードの「出征兵士を送る歌」の広告がある。広告面にも戦時色が出ている。この広告は白地に文字だけで、むしろあっさりした印象を受ける。商品名のパピリオだけ手書きの文字で大きい。残りはすべて活字である。パピリオは化粧品の銘柄としては大手ではない。パピリオ化粧品には、おしろい、口紅、頬紅、クリームなどがあったようだが、それらを具体的に示してはいない。

                                        

 広告の文面は3つに分けられる。第1段は,「『戦争が十年つづく』と思って、女の人は『十年』身も心も若くして下さい」である。まず、今の「戦争が十年もつづく」と予言する。1937年7月に始まった日中戦争は、この段階ですでに2年半も続いていた。
 1938年10月の武漢陥落の前後で戦争の性格が変わる。これ以後、日中戦争は長期持久戦に移行する。この段階になると、この戦争は簡単には終わらず、かなり長期の戦いになるかもしれないと多くの人も認識してゆく。それにしても、この段階で、戦争は十年続くと言い切っているのはすごい。
 実際、日中戦争に続いて太平洋戦争が勃発する。戦争は8年1カ月続いた。日本の歴史始まって以来の、最も長く続いた対外戦争になる。戦争自体は8年だったが、敗戦直後の混乱としばらく続いた戦後の疲弊と困難に思いをいたせば、十年という年月はあながち間違ってはいない。
 パピリオの宣伝部の人は、どういった根拠から、この戦争が十年も続くと判断したのであろうか。次の「女の人は『十年』身も心も若くして下さい。」という箇所は、戦争の十年を「女の人は身も心も若くして」乗り切ってほしいという、いわば願望を述べている。しかし後述するように、十年の年月は容易に乗り切るにはあまりに長かった。この十年間、辛く悲しい現実に打ちのめされ、嘆き悲しむ無数の女性たちで日本列島は埋め尽くされた。実際には、嘆きと悲しみに満ち満ちた十年となった。


 第2段は「けばけばしくない、ヒフのきれいなので、且つ、最も経済的に。」とあるが、文章になっていない。パピリオ化粧品を使う女性への呼びかけと私は読み込む。戦争の時代、女性は美しく装うことを禁じられる。おおっぴらに化粧もできない。若い女性にとって、嫌な、辛い時代になる。「贅沢は敵だ」「パーマはやめませう」と抑圧されてゆく。化粧品の売り上げにも、その影響は出始めていたかもしれない。
 パピリオ化粧品は「けばけばしくない」から使っていても目立たない。また、ヒフの若さを保つのに効果があるので、いつまでも「ヒフ」は「きれい」だ。しかも、値段も安く「最も経済的だ」だと述べている。パピリオを密かに使い続けて下さい、パピリオ化粧品を使って若さを保ち、この嫌な戦争の終わるのを待ちましょうと、広告は訴えている。


 第3段で「そして元気でゆけば、十年位、へいちゃらでせう」という。しかし、現実は厳しかった。十年の歳月の「喪失」は、若い女性には残酷であった。花のかんばせも十年たてば、あせてくるのは避けられなかった。若い時の十年間はあまりに長い。18歳の少女にとって、その後の十年は人生で最も光り輝いている時期であった。それが、そっくり戦争の闇に包まれてしまう。たとえパピリオが若さを保つすばらしい能力を備えていたとしても、その効能には限界があった。
 歳月の経過にはかなわない。十年の歳月はむなしく過ぎてゆく。その間、若い男性は多くが兵隊に取られ、女性たちの身近からいなくなってしまう。彼らとは、戦争がなければ、ともに楽しい青春時代を享受するはずであった。
 「欲しがりません。勝つまでは。」はよく知られた戦時スローガンである。なにを「欲しがりません」というかは立場によって違ったが、若い女性にとって、それは時に胸をときめかす男性を意味した。
 実際、いわゆる結婚適齢期に若い男性が多く戦場に出かけてしまったために、結婚相手が容易に見つからず、やむなく独身のままで一生を送った女性が多くいる。彼女たちも戦争の犠牲者であった。彼女たちにとって、戦争の十年は決して「へいちゃら」には送れなかった。数年ならばともかく、十年は人の生涯からすれば、取り返しがきかないほど長すぎる年月であった。
 この広告は要するに、化粧品を購買する妙齢の女性に対して、男なしの時代が相当長期間(それこそ十年間)続くことを覚悟しておけと警告している。実際、事態はその警告通りになったのだから、まさに正確きわまりない警世の広告となった。


 これまで述べてきたように、この広告は、どういうつもりなのかよく分からないが、とにかく化粧品を使う妙齢な女性たちに苦難の到来を予告していた。私はこういった類の広告が一流紙によく掲載されたものだと不思議に思う。『東京朝日新聞』社はどうして掲載を認めたのか。また、検閲当局もどういう考えからこの広告の掲載を許可したのであろうか。
 検閲の問題でいえば、第3段階が決定的な意味を持っていた。実際には、若い女性にとって、戦争の十年は決して「へいちゃら」ではなかった。それを、この広告は敢えて「へいちゃらでせう」という。今後彼女たちには到来するであろう苦難の程度はたいしたことではないと言っている。言っている内容はあきらかに間違っていた。しかし、このように言うことで、やっと検閲を免れた。だから、第3段階は検閲逃れの文言だと私は理解する。
 今日に引きつけていえば、これぐらい長期的な見通しを持った、インパクトの大きい広告をぜひ打ってほしいと望むものである。後世の人をして、こんな広告がよく出せたものだと感心させられるような広告である。