資料ナンバー2150 新聞の広告の話                 資料班

  今回は、昭和6年の新聞の広告です。
 大阪朝日新聞の昭和6年(1931年)11月5日号の13面から16面は、
「大阪城天守閣再建 新公園竣工記念号」となっています。
 大阪城の天守閣は、鳥羽・伏見の戦いの前後に焼失しています。
 1928年に当時の大阪市長から天守閣再建の提案が出て、1930年から31年にかけて天守閣再建と陸軍第四師団の庁舎移転の工事が行われました。今回は戦争にあんまり関係ない話になるかな、と思ったら、出てきました陸軍。
 新しい天守閣は鉄筋鉄骨コンクリートでサスペンション工法。エレベーターもあったそうです。

 

 大阪城と言えば、豊臣秀吉。秀吉は尾張の国の出身なので、愛知県にゆかりのある人物ですが、大阪の人にとっても、親しみがあるようです。「太閤さん」と呼ばれています。
 裏面(16面)は全面広告です。
「豊太閤一代記」の題で、秀吉の生涯にこじつけて、いろいろの広告が出ています。
「日の出とともに生まれた日吉丸 健やか賢明…肝油菓子ヴイケット」
「勝家にあんまを命じられた秀吉が「あんま(薬名アンメルツ)」の瓶詰を持っていたらモット男を上げた」
「本能寺焼討(やきうち)…信長にとっては悲しい出来事だったがその時火災報知機や消防器具があったら?…消防器具類一切 赤尾保商店」
「淀君は天下の美人で十全の徳があった シエーネは天下の美容薬で十全の効がある」
「大阪城の築城は豊公一世の大事業 再建の天守閣は大阪窯業のセメントで作られた」
「明国討伐に出陣して日本魂(ヤマトダマシイ)を発揮す…清酒 日本魂」
 中央の広告は、「太閤さん人形展 会場:大阪高島屋」で、ここでも後援は大阪市と第四師団。ここにも、陸軍第四師団が出てきました。
 14・15面には大阪城の案内地図があります。第四師団の司令部もあります。かなりの存在感です。天守閣より大きいかもしれません。