◆ボランティア雑感◆10月からボランティアに復帰しました!  
ボランティア   山田 恵三            

                                           
 

 しばらくボランティア活動から離れ、この10月から復帰しました。活動ができなくなったのは、妻のパーキンソン病がすすみ、種々サポートしなければならなくなってきたからです。そうしている内に、突然妻が膵臓癌、余命3ヶ月の宣告をうけました。在宅医師他多くの人達の手を借り、無我夢中の介護の毎日で、宣告どおり晩秋に、住み慣れたわが家で永遠の眠りにつきました。  
 翌年の冬に精神的打撃と介護などの疲労が重なり、トイレの前で崩れるように倒れ、救急車で病院に運ばれました。倒れたことは憶えていますが、それ以降のことは憶えていません。しかも入院後5日間は全く応答なしの状態でした。仮に倒れたまま1日過ごしていたならば、今のようにこの世には存在しなかったでしょう。いわば過労死というか、私の場合は疲労死ということになるでしょう(過労死は学問的には解明されています。医療費削減を目的とした在宅医療は家族に想像以上の負担となりますので、よく検討してもらいたいです)。
 入院後6日目に意識を取り戻しました。幸い重大な病因がなく、後は日々薬でしたが、わが手、わが足の細くなっていたのを見て、元に戻るのだろうかと思いました。介護認定を申請しまして介護4の認定を受け、愕然としました。

絵はがき

山田さんの近影

 


 ある程度体力が回復した時点でリハビリに力を入れている病院へ転院することになりました。ここでは目標がはっきりしています。帰宅して1人でも曲がりなりにも生活できる体力をつけることです。来る日も来る日もリハビリ漬けの毎日でした。そして、夏前に帰宅の許可が出ました。退院後も引き続き、訪問リハビリ、ディケア、自主リハビリなど、今まで以上にリハビリを強化しました。しかし、今年に入ってからリハビリ効果の限界を悟りました。当初目標にしていた低山登山は100%無理だと分かり断念しました。最終的に歩行器で歩くことが残り、その範囲内で如何に活動できるかでした。
 ピースあいち、ジェンダー研究会などへの参加はできそうだと考え、そのため単独でバス、地下鉄、郊外電車、新幹線で外歩きの訓練をしました。ある程度の自信はつきましたが、高齢ゆえ、迷惑をかけるのではないかという思いがあり、同じ仲間のYさんに相談し、適切なアドバイスを貰い、ピースあいち復帰を決断しました。
 最初9月からの予定でしたが雨のため流れ、10月の第3金曜日に行くことになりました。はじめ、上社経由で行くつもりでしたが、一社に着くと何か引かれるように下車、そのまま歩行器で歩き、思いのほか楽にピースあいちへ着きました。玄関を開け懐かしい金曜班の人と会い、以前のようにごく自然に雰囲気の中に入っていくことができました。黒板に私の名前があり、担当も決められており嬉しかったです。三年前と変わらず、幸福感、充実感に満ちた一日を過ごす事ができました。ピースあいちがいっそう存在感を増していることを知り、喜びでした。