特別企画展「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊の原爆の図」によせて
◆それぞれの「ヒロシマ」を立ち上げること
原爆の図丸木美術館学芸員  岡村 幸宣           

                                           
 
絵はがき

 ピースあいちの「原爆の図展」は、今年で4回目。今年は原爆の図第11部《母子像》の展示とともに、広島市立基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」も楽しみにしていました。一年半ほど前に、彼らの活動をもとにした青年劇場の舞台公演『あの夏の絵』のアフタートークを務めたことがあったからです。
 実際に高校生の「原爆の絵」を見るのは初めてでしたが、その内容の多様さ、濃密さには、強く惹きつけられました。被爆者の体験を聞き、絵画として可視化させるという試みは、丸木夫妻の《原爆の図》とも重なります。自己表現への欲求を抑えて、他者の記憶を表現するという行為は、高校生にとって、決して簡単なことではなかったでしょう。


絵はがき

 高校生やOB、顧問の先生とともに公開トークを行う機会をいただいたこともありがたかったです。先生の話からは、生徒の自主性を生かしながらも、温かく活動を見守り、過不足なく配慮をしている様子がうかがえました。また、高校生らの話からは、「原爆の絵」を描くことが彼らにとって非常に大きな「体験」であり、思っていた以上に表現の工夫を凝らしていることも伝わってきました。

 トークを聞きながら、この取り組みは、消失する過去を再現できるのか、という絵画の本質を考える試みになっていると感じました。絵画と比較されるメディアとして、しばしば写真が挙げられます。しかし、写真は圧倒的な現実のごく一部に過ぎないという点で、必ずしも「現実をそのまま伝える」メディアではありません。そのときその場にいてシャッターを押す状況にいなければ「記録」できないという制約もあります。
 一方で絵画は、後から生まれてきたとしても、〈想像力〉によって、いつ、どこにでも〈自由〉に飛んでいくことができます。もちろん(写真以上に)現実そのものではないし、〈自由〉には常に責任も伴いますが、「どうやらこういうものであるらしい」という仮定の現実を積み重ねながら、それぞれの「ヒロシマ」を立ち上げることはできるのです。
 それが「記憶」するという行為で、本当は「記憶」とは、決して原爆を忘れることのできない「当事者」よりも、「非当事者」にとって大切な行為なのではないか。そして、その行為を繰り返しながら次の他者へと受け渡していくのが「継承」なのではないか。
 高校生たちの瑞々しい言葉を受け止めながら、そんなことを考えていました。