『高校生が描くヒロシマ』を名古屋の皆さまに
◆夏の特別企画「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊「原爆の図」展によせて            
ボランティア 下方 映子



 
展示室

 昨年の夏休み、広島市立基町高校の『次世代と描く原爆の絵』プロジェクトの10周年記念展覧会を訪れました。平和資料館に近いギャラリーの一室は、100点を超える“魂の絵”で埋め尽くされていました。基町高校では毎年希望者を募って被爆体験者と一対一で何度も対話を重ねて、約一年かけてこの世に一つの「原爆の絵」を描き上げます。報道ステーションで2度紹介されたこの取り組みに、個人的に強い興味を持ちました。テレビ画面を通していてなお、見る者の魂を揺さぶるような「絵の力」に圧倒されたからです。

展示室

 一枚一枚、時間をかけて見てゆくと、これまで見聞きした体験談や映像とは異なる、より個人的で切実な8月6日の有り様が立ち上がってくる気がしました。会場ではギャラリートークが行われ、絵を描いた生徒さん二人が互いにインタビューをする形で制作への思いを語りました。

―何故、このプロジェクトに?
  「特に原爆に思い入れはなかったんですけど、先輩に強く勧められて」
  「一年かけて丁寧に指導してもらえて技術が上がるかも?という不純な動機もあって(笑)」
―描いている間はどんな気持ちでしたか?
  「広島で育って原爆のことは知っているつもりでしたが、お話を聞いて強い衝撃を受けました」
  「漠然と『原爆はむごい』と思っていましたが、目の前にいるその人の血の出るような言葉を聴くうちに、単なる『原爆』という単語が、『〇〇さんをこんなに苦しめた原爆』に変わりました。」
―描き上げた今の気持ちは?
  「参加して本当に良かったです。」
  「私たちは戦争を知らない世代で、そういうことを積極的に話すのも苦手。けれど、絵を描くことを通じて、自分は変わりました。体験を受け取って変わった自分には『伝え続けなければならないこと』ができたと思います。」

展示室

 会場の絵の前では、ペアを組んだ被爆体験者と高校生が、実の祖父母と孫のように笑顔で再会を喜び合っていました。

 ピースあいちでは、昨年「語り継ぎ手の会リボン」を発足させ、体験者自身の語りに頼らずとも、次世代がその体験を受け継いでゆけるよう、いろいろな活動の形を模索しています。この『高校生が描くヒロシマ』プロジェクトは、絵という媒体を通じた理想的な語り継ぎの実現だと思います。嬉しいことに、基町高校に倣って、戦争体験聞き取りを高校生が絵にする取り組みがここ名古屋でも始まろうとしています。

 『高校生が描くヒロシマ』の作品群は一般公開されておらず、広島を訪れても観ることはできません。原画を名古屋で観られるのは、極めて貴重な機会です。
 この夏、見たことのない『原爆』の光景を体験してください。