そこに、根はあるか
沖縄の『こころ』-追悼 大田昌秀と儀間比呂志展
関連企画―映画上映前トークにお呼びいただいたお礼に代えて―            
大月 ひろ美  



 
展示室

大月 ひろ美 さん

「確かに花はもうだめかもしれない。でも、根っこがある。根っこが生きていれば、またそこから花は咲くから」
 沖縄に通うようになり、たくさん心に響く言葉に出会ってきましたが、これもその一つです。

 2016年7月に高江で起きた大弾圧のあと、表面的には落ち着きを取り戻した、秋の高江座り込みテント訪問でのこと。N1裏ゲート前にあった座り込みテントのすぐ近くに咲く「カクチョウラン」。自生のものはひどく珍しいというその花を大切に育てていらしたその人は、「格調高きカクチョウラン」と仰っていました。

 7月の大弾圧に備えて座り込みに駆けつけた人々の為にテントを増築した際、知らぬまに花が踏まれていたらしいと聞き、残念でしたね、とご本人にお伝えしたら、冒頭の言葉が。
 その言葉は、花にむけてだけとは到底思えず、ご自身に向けているようにも、高江を、沖縄を思っているようにも聞こえ、胸がギュッと苦しくなりました。

 大きな体躯で穏やかに笑う方が、大弾圧の時は鬼のような形相で機動隊と向き合っていらしたのをFacebook等を通じて知っていました。深く深く根付いた怒り。守りたいと通い座り込み続けてきた高江の森が、切り開かれる痛み。  それを経てもなお、不屈の根っこはしっかりと、その方に根付いているようでした。

 先日は、映画「標的の島-風かたか-」上映前のトークにお呼びいただき、ありがとうございました。25分にまとめるのは中々に難しく、監督はじめ、お会いしたことのある方がたくさん関わっている映画の上映前に話したり唄ったりというのは初めての経験で、話はあちこち散らかり、唄は声が裏返り、せっかくお呼びいただいたのにもう少しなんとかしたかった、というのが正直なところです。
 ただ、これまで沖縄で出会った人たちの生き方、人との関わりかた、権力との向き合いかた、戦争の悲惨さ等々から感じたこと、学んだことを少しでも伝えたい、という姿勢だけはしっかり持ってお話しさせていただきました。

 トークの後に映画を拝見しながら、これも話したかった、これも忘れてた、とうじうじしましたがすぐに映画に引き込まれました。前回観たのは一年半前。この間、石垣も宮古も辺野古も、そして高江も(オスプレイやヘリの訓練が激化)、転がるように変化する沖縄に対し、私に何ができるのだろう。そればかり、気が焦ります。
 そんな時こそ、沖縄に通い始めてから私に「根っこ」を生やして下さった沢山の人たちの笑顔、泣き顔、悩み顔、怒り顔、そして言葉を思い出し、カツをいれます。

「そうだ、根っこは、ここにある。」

 そして私はまた、島に生きる人たちに会いに行こう、話を聞こう、そして話そうと思うのです。

 今回お声がけ下さった阪井先生はじめ、準備からやり取りさせて頂いた吉田さん、そしてピースあいちのスタッフの皆さまには大変お世話になりました。
 またお会いできますことを願っております。ありがとうございました。