空襲体験を語り継いで
ボランティア  井戸 早苗           



 県内の高校生が毎年5月に開く「新入生歓迎フェスティバル」。その前夜祭が4月22日開かれた。そこで、私の「戦争体験」を話す機会をいただいた。
 400人以上の男女高校生が一堂に会し、一時間以上の空襲体験を、静かに張りつめた眼差しで聞いてくれた。その真剣さから、戦争体験をした人が周りにいない時代に入ったと強く実感した、初めての経験。
 73年前には、自分の座っている会場・名古屋の中心地がすべて廃虚になっていたこと、同じ学生の学徒動員の死を知り、身近に戦争ということを考え、受けいれられたのだろう。
 「僕が思っていた戦争とは全然違った・・」「はじめて戦争体験者の話を聞きました。途中で悲しくなってきて、自分でも驚くほど夢中で聞いていました」等の感想を聞かせていただいた。また、この日は生徒による各学校の平和への取り組みの発表があり、明るく集団で登壇し、発表している姿に感動、元気をもらって帰りました。

絵はがき

中日新聞4/23

◆愛知私教連の報告から
4/22(日)新歓フェス前夜祭!-名古屋空襲を語る
井戸早苗講演(元市邨教員)は、衝撃的な“ナマ”体験に!
  市邨高校を退職された後、ピースあいちで「名古屋空襲」の語り部ボランティアを続けている井戸早苗先生。敗戦直後の名古屋中心街の写真「今いるこの場所(栄周辺)が焼け野原だった」こと、小学校入学前に起きた空襲の恐怖、家族をバラバラにし、生活をいっぺんに破壊してしまう戦争の恐ろしさを、焼夷弾の実物を会場に回しながら語っていただいた。今の円上中学校には巨大な防空壕があったこと、今の市邨高校からナゴヤドームにかけて、巨大な軍需工場があって激しい爆撃を受けたこと、熱田空襲では、中京、金城、椙山など当時の生徒が勤労動員されてたくさん死んだこと・・。「防空法という法律があって空襲の初期消火が義務付けられていた」「(空襲のとき一人で逃げるのが怖くて)父に一緒にいたいと言ったら、『おまえは非国民だ!』と言われたのです」。次々に語られる生々しい体験談に、500名近い生徒たちが真剣に耳を傾けた。

 ◆感想から 
- はじめて戦争体験者の話を聞いたという生徒が多数

・私たちが住む愛知でも、こんなにも悲惨なことが起こっていたことを初めて知りました。戦争は家族がバラバラになり、心も傷つき、家も破壊され、何ひとつ良いことはないと改めて感じました。井戸先生がおっしゃった、「平和とは対話力です。平和とは、一人一人がつむいでいくものです」という言葉が胸に響きました。(F高3年)

・資料の写真を見て、井戸先生の「戦争ってこれなんです」という言葉が重く響きました。名古屋の地も東京大空襲と同じくらいの爆弾が投下されたという話に、とてもびっくりした。「子どもに罪はない」という言葉が重かった。「必要なものは“対話力”。戦争は愚かだ。情報化が進んでいる世界だから、平和を一人一人紡いでいく」。(W高1年)

・私たちにとって戦争は日常とは程遠いものであり、すべてと言っていいほど知識もなく、全然戦争を知りません。今日のお話で、今まで思っていたよりはるかに戦争のイメージが変わりました。私の想像していた戦争よりもひどく、大きなものでした。防毒マスクが枕元にあることも、家族が離れ離れになることも、自分の住んでいる町がなくなってしまうことも、想像できません。とても考えさせられる、ためになったお話でした。(J高3年)

・戦争というのはなんて愚かなことなんだろうと思いました。ぼくは戦争というのは、武器で戦い合うものと思っていましたが、そんなひどすぎるものだったのかということが、今回じかにお話を聞いてわかりました。戦争は国民に何も知らされずに進んでいるんだなと思いました。勝つと言われていたのにこんなことに一瞬でなるなんて、怖すぎる。こんなことにもう二度とならないようにしなければならないと思いました。(J高1年)

・学徒動員という単語は習っていました。しかし、愛工や椙山などの聞いたことのある学校名を見て、一気に現実感が増しました。そして写真でパイプだらけのを見て、被爆してこんなにも建物がバラバラになってしまうんだなと思っていたら、先生が「この下は生徒さんの死体だよ」とおっしゃられて、とても衝撃を受けました。今の公共事業は、70年前は防空壕づくりや軍需産業、今の地域の火災訓練は、爆弾を落とされたときの火消しの練習だった。「国家総動員法」というのが身にしみて感じられました。驚きだったのは、防空法です。爆弾が落ちてきたらすぐ逃げるというのが戦時中のイメージでしたが、命よりも家の火消しに携わらないといけないというのがはじめて知りました。それをしなければ罪になるというのも、本当に日本はふざけたことをしていたんだなと思いました。(D高1年)