沖縄の「こころ」-追悼 大田昌秀と儀間比呂志展によせて
◆今年の沖縄展のタイトルは?            
沖縄展企画チーム 運営委員 坂井栄子



 
展示室

沖縄の「こころ」
-追悼 大田昌秀と儀間比呂志 展チラシ

 昨年、元沖縄県知事の大田昌秀氏が亡くなった時、「ピースあいちで毎年開いている沖縄展の次のテーマは、大田氏の追悼展で」という声が挙がりました。協議の結果、大田氏に加えて、同じく昨年亡くなった沖縄出身の版画家、絵本作家の儀間比呂志氏も取り上げ、二人の追悼展を開くことが決まりました。

 そこまでは順調だったのですが、問題は展示のタイトルでした。一時は「沖縄を憂えた二人の遺言―大田昌秀・儀間比呂志展」に決まりかけたのですが、別に遺言を託されたわけではないのにそうした言葉を使うのはどうかという意見が出され、再考した結果、「沖縄の『こころ』-追悼 大田昌秀と儀間比呂志展」に決まりました。

 次に議論になったのは、「沖縄のこころ」とは何なのか、ということです。展示のあり方に関わってくるからです。再び皆で知恵を出し合い、まず、大田氏の訴えたいことは大田語録として展示パネルに活かすよう努めることにしました。
 特に「沖縄のこころ」として大田氏が知事時代に強調した「平和を確立すること」「生まれつき持っている権利を大切にすること」「地方自治を確立すること」には、重きを置くことになりました。沖縄戦を経験したことから平和を求める気持ちが強かった大田氏が、終生求め続けた「基地のない沖縄」こそが、「沖縄のこころ」ではなかったのかという気持ちからです。

 

  一方、もう一人の主役、儀間比呂志氏も沖縄の置かれている現状に心を痛めた一人です。儀間氏は、「侵略者に対して勇敢に立ち向かう姿勢を木版画に彫り刻んだ」と言います。本土復帰後も「沖縄の現実が露呈する矛盾やそれに対する沖縄人の深い悲しみや怒りや苦悩、そして自由への渇望を明確に表現しようとして版画に打ち込んだ」とも書いています。
 それ故に、儀間比呂志氏の版画には活力に満ちたたくましさがありますし、人間性の尊厳を守ろうとする沖縄の土着文化の美しい「心」も描き続けました。

 

 二人に共通することは、戦後の沖縄の矛盾と対決し、本土の人に沖縄とは何かを訴え続けたことです。
 今回の展示を通して、少しでも「沖縄のこころ」を理解していただけたら幸いです。