今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより           
   



2月末から始まった今年の空襲展「杉山千佐子追悼―名古屋空襲と戦傷者たち」。東京、大阪、神奈川から、杉山さんといっしょに「援護法」の制定を求めてたたかってこられた方々のご来館もいただいています。101歳、生涯をかけた杉山さんたちのたたかいを多くの人に知ってほしいと思います。

■アンケートより

杉山千佐子さんのことについて深く衝撃を受けました。これからは、二度と戦争が起こらないように、我々の世代が子孫に伝えていかなければならないと思いました。(45歳男)

杉山千佐子追悼展、心に沁みました。こうしたことを子や孫に伝えねばと思いを新たにしました。先日の椙山高校の放送部にも感激しました。(76歳)

杉山さんの元気なうちに援護法ができなかったことが、本当に残念でたまりません。私も生まれて2時間で焼夷弾でけがをしました。73年間、自分の足で歩いた事がなく、とてもつらく悲しい日々を送りました。今だに歩くのが痛く、言葉に表せない思いがいっぱいです。杉山さんの気持ちがわかります。岩崎さん、長い間ありがとうございます。(73歳女)

杉山さんは、災害援護法制定運動の先頭に立ち、生涯たたかってこられました。誰もまねのできないことです。空襲連は、杉山さんの意志を継ぎ頑張りつづけます。今日会場に寄せていただき、改めて杉山さんの行動力に驚かされました。どうぞ天国から見守って下さい。(88歳女)

初めてピースあいちに寄せていただきました。杉山千佐子さんの足跡にふれ、敬服してます。亡くなられるまで、援護法に邁進され、半世紀を傷害者のため尽くされ後世に名を残される。偉業は皆の心に焼き付いています。ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。これもまた岩崎さんとの二人三脚があればこそと、お二人の事、つつしんで敬服申し上げます。(85歳女)

自分自身のことのように思います。私も大阪空襲で両親、兄弟を亡くし、人事とは思えません。皆に語り続けていかなければと強く思いました。(83歳女)

ピースあいちは市民の財力、協力で開館、維持できており素晴しいです。今後もがんばって下さい!! 入館料と別にカンパ箱に小銭を入れました。杉山千佐子さんの歴史と魂に再会できて幸せでした。岩崎さん、ピースあいちさん、ありがとう!! 38年前、1980年8月の原水禁大会・広島で杉山さんと出会い、敬愛してきました。戦争のない世界を市民がつくるため、杉山さんも1996~1997年に訪問された沖縄辺野古への新基地建設を許さないゲート前座り込みに、杉山さんの願い、訴えと共に、私は今後も合流します。(56歳男)

焼夷弾により天井に穴があいた展示物を提供した中村浩之さん(中川区五女子)の7回忌の法要あり。完全リタイアを機に来館しました。戦争の悲惨さと二度と戦争を起こさせない貴重な施設として、末永く多くの人が訪れ、考えるきっかけになることを期待しています。No War!! (65歳男)

馬の徴用、犬、ハトや軍用ウサギの飼育があったのは知りませんでした。犬は昔「マヤの一生」でよみましたが。(46歳女)

今ある平和は、決して当たり前のものではないと改めて認識させられました。戦争の悲惨さを決して忘れず、今の平和を大切に生きていこうと思います。(18歳女)

身近に話を聞くことのできる父もなくなり、母も脳の病気でもう聞くことはできません。原爆の落ちたところは、何かと話題になりますが、まずは自分の生まれ育ったところのことを知らなくてはと思い訪れました。たまたま図書館でチラシを見つけたことと、久々の連休が重なったので、足を運びましたが、一度に頭に入れることはできなさそうです。これを機会に、身近なところでの戦争にまつわる資料を見たり、それにまつわるところへも行ってみたいと思います。今回ここを初めて知りましたが、名古屋を歩くコースとして、何かもっとアピールできると良いと思います。(66歳女)

以前から戦争については関心がありました。学校でも戦争のビデオをくいいるように見てきました。プライベートの沖縄旅行でも、司令塔を見に行きました。目をふせたくなるような戦争を経験した方が次々に亡くなり、本物の声がきけなくなる時代が目の前にきて、私たちは、私たちの次の世代へどのように伝え残していけるのか…。このような資料館を残してくださりありがとうございます。また来ます。(21歳女)

たいへん良心的な展示で良かったです。(59歳男)

戦争の途中や自分達がギセイになった事が大きくとりだされているが、本当は日本が始めた結果がこうなったと思います。自重と反省が必要だと思いました。もっと謙虚になります。今の北朝鮮みたいな日本でしたネ。日本は!

ハワイへ行った時、特攻隊でミズーリ号を直撃した痕跡をみました。また、その人のご遺体を大事におまつりし、日本の家族の方もよび、写真を写したのを見せていただきました。戦争はいろいろな悲しみがあり、良いものではありません。知覧の地も訪れて話を聞いたりしたことがいろいろ結びついてわかり、良かったです。(72歳女)

侵略戦争のことや軍国教育(天皇を利用)の背景を説明すべきでは?明治以前、普通の人々は天皇の存在も知らないくらいだったのだと思います。(76歳男)

人間は何とおろかな存在なのでしょう。戦争というもっともおろかな行為をくり返しているのですね。歴史からしっかり学んで、同じ間違いを犯してはなりません。教育の大切さをしみじみ思います。このピースあいちの存在の意義は、とても大きいと思います。天皇が神さまであるはずがありません。政治に利用されないよう、正しいことを見極める教育が大切ですね。(72歳女)

私は終戦の時、一年生。家は焼夷弾により焼失。私は防空壕に入っていましたが、逃げました。となりの友はこわくて防空壕から逃げられず、焼死しました。かなしい思いでした。(79歳女)

私が生まれた日が名古屋の焼かれた日とは知りませんでした。戦争は父より聞いておりました。父が帰還したのは、私の2歳の時。父を知らずに生きなくてはならないと思いました。今の平和を守っていってほしいです。(73歳女)

私の父は戦死です。話を聞いて、心が暗くなりました。ノーモア戦争。(77歳女)

主人は9年生まれですし、父は大曽根に住んでいて、空襲で一宮へ引っ越しして、そこでもまた空襲にあいました。私は3歳で何も覚えていませんが、乳母車で逃げ回ったことは覚えています。身近に感じて、とても悲しい思いでした。(76歳女)