昨今の世相を詠む  
ピースあいち語り手の会代表  斎藤  孝       

                                           
 

 この国での最後の戦争が終わったとき、その8月15日を私は愛知県の清須と甚目寺にまたがる軍事基地で迎えました。兵士ではなく学徒動員での中学3年生で、基地の兵舎に寝起きして基地司令部の防空壕補強の作業に従事していました。敗戦の詔勅を直立不動の姿勢で聴きました。当時、天皇は現人神(あらひとがみ)と呼ばれ神様でした。ラジオから流れるその声は「玉音(ぎょくおん)」と呼ばれていました。ラジオでの声は雑音がひどく、しかも古い文体なので何のことか判りません。放送が終わって先生から「日本は戦争に負けたのです」と聞かされました。
 翌日、私は名古屋に帰ってきました。名鉄の改札口を出たとき、見上げる空は青空でした。そして私が見たのは、スカートを穿(は)いた女子生徒でした。スカートの両側に白線が入っているので当時の市立第一高等女学校(いまの菊里高校)の生徒です。昨日まで「もんぺ」を穿いていたのです。「戦争は終わったのだ。もう、爆弾も焼夷弾も落ちてこないのだ」と思ったことを憶えています。

 昨年の8月、私は短歌を詠むことにしました。私は「あみの会」という宗匠のいない句会のメンバーで、毎月五句を苦吟しています。近年の日本の政治状況について、私の思いを語ろうとしたが、俳句の十七文字では十分に表現出来ません。そこで三十一(みそひと)文字で詠むことにしたのです。こんな歌です。

広島をヒロシマと書くその日から 平和を願う灯火(ともしび)がある
ナガサキの鐘鳴り響く天主堂 非核の願い佇立(ちょりつ)して聴く
灼熱の川灼熱の山原爆忌 鎮魂の記事テロの記事を読む  

 短歌は今でも詠んでいます。8月での歌の素材の多くは「戦争と平和」でしたが、9月以降は身辺の雑事と変わりました。

参道に善男善女日泰寺 味噌田楽の香り漂う
夏以来勝手気侭(きまま)に和歌を詠む 迷惑顔の読まされる友
普段着の人で賑わうこの大須 焼き芋折りて歩きつつ食(は)む
宣誓の声高らかに若き眉 爆弾降らぬ八月の空       

絵はがき

 平和だからこそ、こうした暮らしを過ごすことができるのです。ところが2014年7月1日、安倍保守政権は集団的自衛権行使容認を閣議で決定し、2015年9月19日、これに関わる「安全保障関連法案」(世にいう「戦争法」)を強行採決、成立させたのです。平和憲法の立憲主義と国民主権の否定です。この戦争法を公布することによって、この国は危険な道に足を踏み入れました。「日本国憲法」で、「戦争をしない」と決めたこの国を「戦争ができる国」に変えたのです。これは他国同士の戦争に武力で介入する「他国防衛権」です。
 ここで改めて日本国憲法の「前文」を読み返してみましょう。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し‥」とあります。ところが、このたび「安倍保守内閣」という「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こりかねない」道に足を踏み入れたのです。

ここに来て平和の道に二差路あり 右手を行けば戦場(いくさば)に遭(あ)う
敬礼の肘(ひじ)が下がっているだけで 往復びんた受けた遠き日
出し抜けに召集令状届きたり このようなこと起こり得るかも

 戦後72年余、専守防衛を守ってきたこの国の自衛隊は、地球の裏側まで行くことになりかねません。日本国民の命と財産を守ることで命をかける自衛隊の兵士らも、アメリカのために命を捨てることになるなら志願する人もいなくなるだろうし、除隊をする兵士も出て来ることでしょう。さすれば徴兵制の導入です。
 海外では国同士の戦争はないものの、シリアでの内戦をはじめ「イスラム国」(IS)のメンバーによる自爆など戦火は絶えません。そうした中で安倍政権は、唯々諾々とアメリカの言い分に従っています。

この国の最後の戦争終わりても 未だ戦(いくさ)をやめぬ国あり
今日も飛ぶ北朝鮮のミサイルに 防衛がらみほくそ笑む安倍
アメリカの奇人トランプ大統領 忖度するのはこの国の人
トランプに言われるままに武器購入 忖度どころか追従のまま

 「一強多弱」を手にした安倍保守政権はやりたい放題。そうした中で心ある識者らが警世の言葉を語っています。識者のみならず無名の民もまた「戦争反対」の声を上げています。

陽炎で道の野草が揺れている この国もまた揺れているよう
豪雨来て橋の流失土砂崩れ 国の地滑り憂う人々
保守党の野中広務が世を去りぬ 「二度と戦(いくさ)をするな」と残して
酒酌みて議論果てなし護憲論 戦知る人知らぬ若者
「九条を守れ!」と叫んだ帰り道 藪蚊の唸り敵襲と聞く
仰向けに倒れし蝉の骸(むくろ)あり 遠くに聞こゆ鎮魂の鐘

 戦災復興を見事に成し遂げたのは、勤勉な先人たちでした。ところが昨今の民は、「一強多弱」の保守政権を支持し、スマホに興じている方が少なくありません。戦争を体験した高齢者は彼岸に渡り、戦時の記憶は薄れるばかりです。軍国少年として育てられた私ですが、戦時の姿を鮮明に憶えています。
 過酷な暮らしを強いられたこともあって、平和への熱い思いは常に頭から離れません。この「ピースあいち」でボランティアをしていますが、「中区九条の会」でも平和運動のお手伝いをしている私です。私の歌にも身辺雑記のなかに戦(いくさ)と平和にかかわる歌が混じるようになります。

今年また巡り来たりし敗戦日 友と鐘撞く東別院
襤褸市(ぼろいち)でブリキの玩具見つけたり 戦時の暮らし甦(よみがえ)る夕
守山の市民の手による戦争展 手書きの文字に暖(あたたか)みあり
憲法の「前文」暗記するために 写経の如く今日も筆採る
就寝時憲法「前文」諳(そら)んじる 平和の裡(うち)に眠りに落ちる

 仲間たちと議論をしているのみでは平和は守れません。改憲反対のデモに参加する。「九条の会」の運動を手伝う。新聞社に投稿する。こうした具体的な行動が肝要です。

戦争で世界の平和は作れない 差別と貧困なくすのが先
敗戦で手にした平和を守るため 一人ひとりが声を上げよう