今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより           
   



新年あけましておめでとうございます。ピースあいちは新たな10年に向け、今年もさまざまな企画展・イベントの準備を始めています。ご来館お待ちしています。最近、留学生の方の来館も増えています。12月に来館いただいたブルガリアからの留学生の方からは英文のメッセージをいただきました。まずはそのメッセージから…。
*ピースあいちでは、英文、中国語、韓国語の開館案内リーフレットを用意しています。

■アンケートより

「ピースあいちを」を見せていただきました。皆様は私にとても親切にしてくださいました。ありがとうございます。今回訪問したおかげで、日本、特に名古屋の戦争の歴史について多くを学びました。多くの展示品の説明文は過去について、とても興味深い史実を語ってくれています。これらの説明文はとても有益で、興味深い戦争にまつわる話を教えてくれます。皆様はとても素晴らしい仕事をされており感服しています。私はここで学んだことを世界の人たち分かち合うため最善を尽くします。戦争を二度と繰り返さないために。(26歳男・ブルガリアからの留学生)(訳 野田三甫子)    

毎月1回、ピースあいち近くの整体院に1時間かけてきています。以前朝日新聞で記事を読んだことがあり、気になって来てみました。民営は運営が大変だと思います。こういうのは可能な限り続けていただきたいです。愛知もこれほどの空襲があるとは知りませんでした。広島、長崎だけではなく、後世に語りついでいくのはとても大切だと思います。私は個人的に3階の寄贈品展のポスター(『防空図解』)を見て悲しくなりました。あんなことで爆弾をふせごうと対策していこうとしていたとは、本当に情けないです。口で語っていくだけでなく、生の資料は訴えるものが大きいです。(48歳女)

寄贈品展を見て、みなさんが当時のものをとてもキレイに大切に保管されていたことにおどろきました。手紙などからは、当時の気持ちを知ることができるので、大変興味深く拝見させていただきました。(女)

私はピースあいちに行って、二度と戦争はしてはいけないと改めて感じました。澄谷さん(ピースあいち語り手)の話では、戦争は人々を不幸にする事だと思いました。この世の中には、まだ戦争をしている国があることも知りました。ビデオでも広島県のげんばくドームのビデオを見て戦争のこわさを、はだで感じました。てんじしてある物では、実さいに、戦争の時おちてきたばくだんは、茶色でこわかったです。でも戦争の事をくわしく知ったので、二度と戦争をしてはいけないという事を、いろんな人に広めていきたいと思います。(12歳女)

私は澄谷さんのお話を聞いて、戦争ということはとてもつらくて苦しくて悲しい事だということをあらためて学びました。今まであまり戦争にはふれていなかったけど、戦争という言葉からにげずに、考えていこうと思いました。食べ物も自分の子どもよりへい隊さんの方が優先だと聞いて、今の自分ではこのような事をがまんできないと思います。食べ物がなくて、が死してしまったり、文房具や遊びなども全て戦争のものだと知り、今では考えられないです。(12歳女)

ピースあいちの方々のお話を聞いて、戦争はもうおきてはいけないと思いました。なぜなら、澄谷さんが、おうちはやけてなくなって、やけどをお母さんがして死ぬまできずあとが残ったと言っていたから。たぶん澄谷さんのお母さんはずっといたい思いをしていたと思うから、戦争は体も心もきずつけるのだと思ったからです。ガイドさんと2かいに行ったとき写真があって「目をそむけないでください。これが戦争です」と書いてあって、その写真にうつっていた子どもの顔は、とてもなきそうな顔でした。その写真を見た時に、戦争はあっちゃいけないんだという事がよく分かりました。私はこれからも戦争はだめだという気もちはかわりません。だから先日学んだ事を大人になっても、おぼえておきます。(12歳女)

ぼくは、ピースあいちに行って、あらためて戦争はいけないと思いました。すみやさんの話を聞いて毎日のようにばくだんがおとされて、すみやさんたちが死にそうになったりして、戦争中は、自分の子よりも兵隊さんが大切て言ったりして、戦争はこわいと思った。DVDでは、げんしばくだんのせいでなくなったという人もいて、写真では、動物が戦争が始まったから殺されたり、戦争のせいでたくさんの人が亡くなったり、サイレンがいつもなってたりして、戦争はこれからやっていけないと思いました。(12歳男)

話を聞いて、戦争のおそろしさを実感できました。空から鉄のかたまりが何千本と降ってきたり、町が燃え、すべてが灰になる。今のぼくたちにはありえないことだと思っていました。でも、今も実際そのような戦争を起こしている国があり、世界が平和でないことがおそろしいです。北朝鮮とアメリカのいざこざに日本も入っていき、また日本が戦争を起こすことなども考えたくありません。世界から戦争が消えることを心から願います。ピースあいちの見学で、戦争のおそろしさを再確認できました。(12歳男)

私は澄谷さんの話を聞いて、戦争はものすごくおそろしいものだと分かりました。2階にあった戦争の写真をみて、心がものすごくいたみました。まだ生きなければならない命を落とす戦争がこわいと思いました。こげたかげもあるなんて知りませんでした。そして「戦争反対!!」と言っただけでころされるのは知っていたけれど、そんなひどいころしかたとは知りませんでした。今の日本は平和かもしれないけど、昔は平和ではなく、おそろしいことが人々にとって多かったと思います。動物園にいる動物までころされるのはとてもひどいと思います。なぜなら、人間の勝手で命をうばっているからです。このまま平和でいてほしいと思いました。(12歳女)

ぼくはピースあいちへ行って、戦争について話を聞いていくと、「悲しい」という一言ではすまされない戦争へのいかりがこみあげてきました。澄谷三八子さんの話で、町全体が火の海なるという、今の僕たちには考えられないことを経験した方の話だったので、当時のことがとても伝わってきました。とくにひびいたのは、じゃがいもを兵隊の人にわたしてしまうという我が子よりも兵隊のが大切ということになってしまったということです。とても貴重な体験をありがとうございました。(12歳男)

これが戦争です 目をそらせないで下さいー本当ですね。今憲法9条改悪のうごきをなんとしてもストップを!! と3000万署名にとりくんでいます。この時期に、このピースあいちを訪れ、あらためて戦争は絶対にくいとめなければと思いを強くしました。同時に加害者としての日本の責任を思うと、今私たちは、私がやらなければいけない事がはっきりしてきます。貴重で大切な思いのこもった資料がきちんと展示、保管されておりたいへんなことと思います。(63歳女)

平和のための戦争という発言がよく聞かれるようになった。ヒトラーも平和、平和といいながら、チェコを併合し、ポーランドに侵攻していった。政治家が平和のためと言いだしたら余程注意しなければならない。「戦争」があって「平和」のことばが生まれた。本来は平和といわずとも日々の営みがあるばかりだった。「戦争」「平和」の言葉がなくなる時こそ本来の世界が誕生すると思われる。(69歳男)

戦争が終わって70年以上たち、自分も戦後に生まれたのですが、子どもの頃は、まだ焼けたままのビルや名古屋城の堀には、防空壕の跡などがあり、祖母や母から、戦時の話をよく聞きました。それでもあまり自分にはピンと来るものがありませんでしたが、だんだん自分が成長するにつれ、どんなにいけない事かが、身に沁みてわかるようになってきました。子どもの頃家にあたりまえにあったものが、今は大切な資料になっていますが、かなりすててしまったのを残念に思います。(63歳女)