ピースあいち訪問記◆かつての戦争から何を学ぶか      
福井市・浄土真宗寺院住職  芦野 順介



絵はがき

ピースあいちにて(左が芦野さん、右が友人の鈴木さん) 

 昨年11月、ピースあいちを知立の友人とともに訪れました。 
 貴館の事を知りましたのは、『法と民主主義』で館長でもあられる野間美喜子弁護士の「いま、かつての戦争から何を学ぶか」の記事を読んだからです。
 それで、一緒に行きました彼に尋ねましたところ、在ることは以前から知っていたがまだ訪れたことはないということで、お互いの都合を調整して初訪問となりました。
 その友人とはそれまでに長野県阿智村に在る「満蒙開拓平和記念館」や神戸の「戦没した船と海員の資料館」などを訪れています。

 私が住む福井市の隣が鯖江市ですが、そこにはかつて日露戦争当時からの陸軍歩兵第三十六連隊があり、私が小学校の頃にはまだ連隊本部跡や練兵場などがありました。
 折しも昨年は盧溝橋での事件から80年でしたが、そこに端を発して「南京事件」という問題に向かう中で、光華門一番乗りという他国の侵略に他ならない行為が、当時の連隊長であった脇坂次郎大佐の名にちなみ、脇坂部隊の栄誉として称えられているとしか思えないような形で「福井県平和祈念館」で顕彰されています。
 平和への祈りとは程遠いというより真逆の「平和祈念館」の在り方には……です。

 「満蒙開拓平和記念館」の玄関に向かって右側の所に、「前事不忘・後事之師」という石碑があります。
 これは、前事を忘れざるは、後事の師なりと読み、中国の「過秦論」にある名言を1972年9月、日中国交正常化の調印の時に周恩来首相が言及されたとか。
 歴史を(に)学ぶということは、この一文に尽きると思い、1945年8月以前に戻ろうとするかのような現在の社会状況などを考える時、貴館をはじめ長野・神戸の記念・資料館などの存在はますます必要であり、そこで過去に日本が中国やフィリピンなどアジア各地で何をしてきたのか、自国民をどのように扱ってきたのかなど学び考えることが大切だと思います。