あいち女性九条の会12周年、今後へ  
ピースあいち会員・あいち女性九条の会事務局長 森 扶佐子          

                                           
 

 2005年11月26日に誕生したあいち女性九条の会が12歳になった。偶然だが11月26日は私の誕生日でもある。従って、忘れることがない。
 前年の加藤周一・大江健三郎らの九条アピールに応えて何かをしたいと年初から何度も協議はしたものの、具体化できぬまま日は過ぎた。ところが9月の総選挙、いわゆる小泉純一郎主導の郵政選挙で与党が300議席の大台を超えて危機感が蔓延。それまでの議論はどこへやら、あれこれ言わず「えぇ~い、作っちゃえ」とできたのがあいち女性九条の会。組織とは無縁の素人がよくやったと思うと同時に、素人だからあちこちから気軽に助け船を出してもらえたとも言えよう。

 右も左も分からぬまま開いた結成総会は、100人弱の参加を得て無事結成の運びとなった。規約はなく、憲法九条を守りたいと思う女性なら誰でも入れる、若干の役員を置き運営を行う、会費はなく財政は自主的な寄付金(カンパ)でまかなう、ということだけ申し合わせた。つまり、ただ憲法九条を護り活かしたい、肩書きなしの会費なし、「来る者拒まず、去る者追わず」の緩やかな繋がり。
 代表の3人は三人三様、元女子大教授の青木みか、弁護士の野間美喜子(後にピースあいち館長)、俳優の山田昌という顔ぶれ。10人いた事務局候補のうち最年長というだけの理由で私が事務局長になった。気軽に引き受けたあとで気がついた。しまった、この運動には終わりがない!!
 我が家の同居人は護憲派の憲法研究者だが、私自身は憲法に精通しているわけではないし、運動もそんなに知らない。それでも憲法改正には国会の発議のあと、国民投票で過半数の賛成が必要ぐらいの知識はあり、国民投票で1票でも勝てばいい、そのために勉強しよう、「知は力だ」の思いだけから始まった。

絵はがき

あいち女性九条の会つどい(2017年11月26日)

 12周年を前に今まで何をしてきたのかまとめてみてビックリ。結成3か月後の「学びのつどい」を皮切りにさまざまなイベントを行ってきた。
 講師には、県外からは湯川れい子、堤未果、島本慈子、伊藤真、藤原辰史、孫﨑享ら。地元の研究者では森英樹、糸井川修、大河内美紀、本秀紀ら。地元の芸術家や弁護士にもお世話になった。映画上映や、コメディアンの松元ヒロ公演、会員の戦争体験を聞いたり、会員が特技を披露する会員交流会もあり、東日本大震災の後には「福島からのメッセージ」を武藤類子から聞いた。ママの会との交流や武井由起子の憲法カフェでは若い世代の参加も増えた(全て敬称略)。
 学んだことが女性特有の井戸端会議などのおしゃべりに役立てばいいとの思いもあり、護憲バザーがいつの間にか定番となったこともあって、12年を会費なしで今までやってきたのも女性の特性発揮と言えようか。驚きとともに誇りに思う。    (あいち女性九条の会 行事略歴はこちら)    

 私は大きなことは望まず、最後の国民投票で1票差でも勝てばいいのだという信念から毎回一人でも新しい参加者が得られればいいぐらいを目標にやってきた。みんなの奮闘もあって、私の手元にある名簿は500人余りになった。
 ところが、ここにきて、ピーター・バラカン(英国出身のブロードキャスター)の言葉に触発されてか、私の信念がゆらいできた。「相手の気持ちを察し、気配りができるのは日本人の特性の一つ」「別の見方をすればこれは忖度」「公僕である政治家を先生、先生と呼んでありがたがるような縦社会と相まって、権威のある人を喜ばせようとする傾向がある」「こうした国民性のもとでは、権力者の都合のいい改憲につながるかも…」と言い、そして、英国のEU離脱を問う国民投票の際、EUに多少の不満はあっても現状維持を望んでいたであろう国民が、政権が国民投票を提案すると、一部の人が声をあげ、メディアが取り上げ、デマも飛び交って一般市民もだんだんあおられていった」と。(2017年11月3日付朝日新聞参照)。
 もりかけの例を持ち出すまでもなく、年間流行語大賞に選ばれるほど日本人は「忖度」が好きな国民性を持っている。国民投票で1票でも勝てばいいの思いは読みが甘い、国民投票に持ち込ませないことが何より大切なのだと思い知らされた。
 毎回の参加に高齢者が多いことは否めないが、人口統計で65歳以上が25%超の現在、後期高齢者も歩んで行くしかない。知は力、継続もまた力であるから。