常設展から◆民間戦争被害者の救済補償制度を求め続けた杉山千佐子さん  
ボランティア 林   收            

                                           
 

 杉山千佐子さんは2016年9月18日、老衰のため101歳で亡くなられました。遅ればせながら謹んでお悔やみ申し上げます。
 1945年(昭和20)3月25日未明名古屋市内の空襲で被災し左目を失った杉山さんは、民間戦争被害者救済のための運動を先頭に立って尽くしてこられ、生涯を奉げられたのでした。
 ピースあいち開設以来、常設展示として2階廊下に掲示されている杉山さんの特集記事「あの人に迫る」が記す活動内容を読んで、ご存知の方も多いと思いますが、あの新聞掲載の日からさらに10年も頑張り続けてこられたのです。

絵はがき

2010年6月5日「空襲体験を語る」に出演された杉山千佐子さん(ピースあいちに於いて)

 改めてその活動の内容をまとめてみると、1972年「名古屋空襲を記録する会」に参加したのをきっかけに全国戦災傷害者連絡会(全傷連)を結成し、当時の社会党に働きかけ国会提案された「戦時災害援護法」案は14回にも及んだが、「国との雇用関係なし」「内地は戦場にあらず」という理由で廃案が繰り返されました。  
 数年前、杉山さんがピースあいちへ来館されたとき、車椅子に乗っておられたものの、お姿はきりっとしておられ、90歳代とは思えない印象でした。
 杉山さんは歳とともに足腰が弱り、耳も遠くなっていっても、「運動がやりにくくなる」と施設入所を拒み、ヘルパーや支援者らの助けで市営住宅の一人暮らしを続けておられました。が、2016年6月に愛知県弁護士会主催のシンポジウムに出席直後から衰えが急速化して、8月からは寝たきり状態だったようでした。
 ピースあいちでは来年、故杉山千佐子さん追悼の意を込め、足跡を辿った特別展示を予定しています。改めて多くの方にご覧いただき、合わせてトレードマークとされた千羽鶴を折ってさしあげたらよいのではないかと思います。