◆ピースあいちとともに10年◆おかげさまで11年
ボランティア 加藤有子



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加藤です。(約3年前)

 加藤です。
 ピースあいちのできる1年前の2006年5月からボランティアを始めました。資料の整理・登録の作業をしていました。(今も資料班です。)11年半のおつきあいになりました。
 最初は、母が担当していた資料整理の作業がなんだか大変そうだったので、手伝おうか?ということで始めました。
 ベークライト(戦時中使われていたプラスチック)のことを「フェノール樹脂ですよね」と言ったら「あなた理系ですねコンピュータやりませんか」というような話になり、資料のデータベースの入力もするようになりました。
 パソコンどころかデジカメも自前では持っていなかったので、いきなりのデジタル生活。資料整理の様子を取材に来た新聞社の人に教えてもらうまでデジカメのズームの使い方を知りませんでした。

 2007年5月のピースあいち開館後は、資料整理や入力を一緒にしてくれる方が少しずつ増えていきました。「エクセル」の使い方を教わりました。
 2008年末に、ホームページの「所蔵品」のページに資料リストが載りました。この時教わって「PDF」というものを初めて作りました。

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作ったポスター

 開館の年から続いている夏の戦争体験の語りを、2009年からは自分たちでDVD化することになりました。この時に映像編集も学習しました。
 2009年12月に、皆さんが今お読みの「ピースあいち・メールマガジン」が創刊になりました。創刊号から「資料班」のペンネーム(?)で「所蔵品から」を連載しています。1回を除いて全部私が書いています。教わったばかりのPDFを使って、資料の詳しい画像が見られるように工夫しました。このあたりから画像の編集を教わり、展示や年末祭のポスターを作らせてもらいました。
 2009年冬の年末祭ではスタッフの皆さんで「すいとん」を作り、お客さんにふるまいました。

 2010年、新しく大型プリンタが導入され、その操作を学習しました。3周年の企画展「名古屋空襲を知る~今、平和を考えるために」のパネルの印刷作業をしました。
 博物館相当施設の認定の準備の時は、私だけでなく資料班メンバーは、提出するリストを作成したり分類項目ごとにカウントしたり、細々とした作業を行いました。
 冬には、助成金で勉強会が行われ、ホームページのリニューアルとブログの開設ができました。ホームページに新しいページを作ったり(メルマガと連動したページを作りました)、ブログに投稿したり、ということもできるようになりました。ブログには2009年5月に植えたアンネのバラの写真を投稿しました。


 2011年8月から2012年9月までの間、メルマガのページを作る作業を引き継いですることになりました。「html」の、暗号みたいなのも扱うようになりました。前の年の勉強会で勉強しておけばよかったと思いました。途中から、ページの周りに色を付けることにしました。今月は緑色です。

 2012年の夏は忙しかったですよ。メルマガの記事はすごくボリュームがあったし、5周年企画展「原爆の図展」は、プリントするものも多かったし、館内で流すDVDの構成は「今のじゃだめだから変えて」と上映が始まってから2日続けて言われて毎日作りなおしました。県の委託事業の取りまとめもあったり、夏の戦争体験の語りの時には演者とテーマを入れた掲示物10回分作ったり。販売用の展示図録CDも作ってました。今まででいちばん大変でした。
 原爆の図展の前には、展示室の環境のこと、会場スタッフの注意すべきこと、来館者に守ってもらわなければならないことを学ぶための勉強会をしたいと提案をして、ボランティア学習会のひとコマとして、原爆の図丸木美術館のスタッフの方に来て頂けることになりました。


 2013年夏は「はだしのゲン」展でした。連載された時の「少年ジャンプ」を展示に出しては、と提案して、当時の少年ジャンプを来館者に読んでもらえることになりました。パネル用にまんがをスキャナーで撮る作業もしました。線がきちんと出るように、濃度を変えてやり直したりしました。
 9月にはピースあいちの「戦争と動物たち展」を展示していた沖縄の対馬丸記念館に行って来ました。


 2014年は、高浜市やきものの里かわら美術館の「水木しげるの戦争と新聞報道」に、ピースあいちの戦時資料(軍装品と当時の新聞)を貸し出しました。運び出すときにヤマト運輸のスタッフの方に、梱包を見学させてもらいました。「ふとん」(わたを薄紙で包んだもの。資料を包んだり、箱とのすき間に詰めたりする)の作り方を教えていただきました。
 そのあと、夏の企画展「戦争と若者 断ち切られた命と希望」のために資料を借りに行きました。東京のわだつみのこえ記念館、愛知県豊川市の桜ヶ丘ミュージアム、京都市の立命館大学国際平和ミュージアムの3か所に行き、資料の梱包を手伝いました。
 10月には明治大学で行われた平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会に参加しました。

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竹内浩三の詩集。 透明アクリル板でページを押さえて撮影

 2015年は、竹内浩三展の資料の借り受けがありました。その前にはパネルに使う画像の写真撮影の助手もしました。なるべく本を傷めず、竹内浩三の直筆の「まんが」や、本の余白に書かれた詩を撮影するために、いろいろと工夫をしました。


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ネットワーク交流会会場
福島の「原発災害情報センター」

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広島の吉島本町から爆心地方向を眺める

 2016年から2017年初めは、いろんな所に行きました。5月は竹内浩三生誕祭で伊勢へ。10月に平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会で福島県白河市へ。「原爆の図・原爆の絵」展の展示の準備で広島へ2度。被爆体験画の「現場」へ赴き、写真を撮りました。年が明けて2月には沖縄展のスタッフにくっついて沖縄へ行きました。京都にも2度行っています。2月・節分の夜には原爆の図・丸木美術館の岡村学芸員の話を聞きにギャラリーヒルゲートに、3月末には沖縄展のテーマであるハンセン病の展示を見に柳原銀行資料館へ行きました。

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寄贈品展ポスター

 2017年秋は、12月8日からの寄贈品展の準備が進んでいます。
 素晴らしい仲間と出会えたこと、いろいろなことを学べたこと、それを生かしていろいろなことをやらせてもらえていることは、自分としてはすごいことです。それにしても、「~しました」って、自分一人でやっているように書いていますが、みんな、チームでしていることです。周りの皆さんには感謝しないといけないと思います。