ボランティア雑感◆秋のお彼岸に 
ボランティア 資料班 宮坂 宥澄            

    

倉橋画像 封筒

寄贈品の整理をする筆者

 「暑さ寒さも彼岸まで」とは、いかにも過ごしやすい季節の到来を感じさせる言葉です。
 思えば私もピースあいちボランティアを始めて資料班として、寄贈品資料の記録と保存の仕事に携わって、2年余りが経過しました。
 館内では日々、並々ならぬ労力が費やされた戦争に関する企画展を拝見したり、貴重な戦争体験者の語りなどを拝聴させていただきながら、資料班の仕事を続けております。
 職業柄*)、お彼岸の事も考えながら、寄贈品の整理をしておりますと、ふと戦争で亡くなられた方々の御霊は今、どこにいらっしゃるのだろうか。などと思ったりもしてしまうのです。やはりお彼岸なのだろうか。とか。
(*編集部注:宮坂さんはお坊さんです。)


 その「お彼岸」という日には、お墓参りをしたり、ご先祖や亡き御霊を供養します。これは祖先崇拝あつい日本で始まった仏教行事なのです。
 春は春分の日、秋は秋分の日を中心に前後1週間がその日に当たります。  
 お彼岸は仏さまのいらっしゃる世界ですから、昼と夜の長さが同じお彼岸の中日は、一番近くに仏さまが来る日ということになります。
 昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が制定され、「春分の日」は、「自然(しぜん)をたたえ、生物をいつくしむ」日として、「秋分の日」は、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。


 でも、お彼岸という言葉の語源はインドにあります。梵語でパーラミター、すなわち「到彼岸」、彼岸に到るといいます。お経では、「波羅蜜多」と音写されました。
 お彼岸は、涅槃の岸でもあり、悟りの岸でもあります。あちら側の岸です。
 それに対して、河を挟んで、こちら側の岸を此岸と言います。煩悩の岸、迷いの岸です。私たちが住んでいるこの世です。インドでは彼岸(悟りの世界)に行くために六波羅蜜という修行が説かれました。
 皆さんご存知の般若心経というお経の最後の偈文(げもん)で、下記の呪文が唱えられます。
 「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソウ、ギャーテー、ボーディーソワカ」この部分は、「行こう行こう、彼岸へ行こう、みんなで彼岸へ行こう。悟りよ幸あれ。」という意味になります。
 そうか、みんなで行くならこれは心強いことだなあ、と思いを新たにするのです。
 日本では、修行の仏果としての悟りの世界を、あの世になぞらえたのです。それが、お彼岸です。そしてお彼岸の本来の意味は、仏さまのいる世界にみちびかれて、私たち一人一人が、この世で共に努力して生きていくことなのです。
 彼岸を目指し、人を救うことができる位を、仏教では菩薩と呼んでいます。仏さまなのです。でも、「あの人は仏さまのような人だ」と言われる人もこの世にも稀にいます。「人ひとり救えば菩薩の位」と言われているように。


 さて、秋には田んぼのあぜ道などに真紅の彼岸花が咲きますね。皆さん彼岸花をご存知ですよね。そのヒガンバナの花言葉は、たくさんありまして、まず「悲しい思い出」、「あきらめ」、「情熱」などがあります。いかにも彼岸らしいですよね。でも私は、一番後の方で出てくる、「また、会う日を楽しみに」(また、いつでも会いましょうね)が、お彼岸に一番ぴったりの花言葉だと思っています。
 それは、「亡き御霊を(あなたを)、いつまでも忘れませんよ」という、この世に生きる私たちの思いにもつながるからです。
 人を救うことと平和な世の中になることを念頭に、手に手を取り合ってゆく世界が、お彼岸の中日の教えであり此岸と彼岸が限りなく近づいて、一つの同じ岸になる理想の日なのではないかと思うと、やはり、お彼岸は国民にとっても大切にすべき実践すべき良い日になっているのだろうなあ、と思うのです。