愛知サマーセミナーでの『ひろしま』上映と皆さんの熱い思いについて       
奇跡への情熱プロジェクト 代表 小林  開



加藤さんと堀田さん
 

 素晴らしい時間はあっという間だった。
 7月16日(日)に同朋大学で行われた愛知サマーセミナーの授業の一環として映画『ひろしま』が上映され、それに関する話をトークという形で参加させてもらった者としての率直な感想である。
 前日に会った友人から講座によっては10人に満たない場合もあるような事を聞いていたので、正直どれくらいの人が来てくれるか見当もつかなかったが、中日新聞の影響も大きかったか、最終的に170人以上の人が来てくれたそうだ(後で知り合いの大学の教授から結局いっぱいで入れなかったという話も聞いた)。終了後の僕のトークにも大勢の方が残っていてくれて、この映画に対する僕の思いと関わった方の思いを拙い話であったが、何とか無事に伝えられたものと信じている。

 
加藤さんと堀田さん

 さて少し話を戻すが、この映画と僕との関わりを少し話そうと思う。というのも、愛知県という場所は僕にとってもたいへん重要な場所であるからである。 
 この映画が作られた昭和28年、この映画に参加していたのが僕の祖父の小林大平である。祖父は監督補佐という重要なポジションでこの作品に参加した。祖父の下には後の名監督である熊井啓さんが助監督の末席につき、映画人生のスタートをきった。ラストシーンの群集の集合シーンでは手旗信号を使い、祖父が大勢の出演者たちの指揮をとったという話が残っている。
 その当時、父である小林一平は愛知県にいた。祖父が離婚し、叔母の元に預けられたのだ。つまり祖父の出身地はここ愛知県の碧南という所である。
 だから父が上映を始めた時によく聞かされたのだが、被災した子どもたちのシーンを撮影しているときに、祖父は父のことをよく考えたそうだ。ふとそんな話を思い出してしまった。

 話が少し脱線してしまったが、この映画は祖父が撮影に関わり、父が上映を始め、そして今、僕が何とか世界をはじめ多くの人に見てもらいたいと上映活動を継続している次第である。
 そのような中で、今回愛知サマーセミナーで上映することになった。それには「ピースあいち」の吉田さんとの出会いから「ピースあいち」での上映。そして何とか多くの方、特に若者へという吉田さんをはじめとする「ピースあいち」の人たちの思いが結実した結果だと思う。
 そんな中、特に印象に残ったのは岡崎から来てくれた高校一年生。もちろん『ひろしま』をはじめとする戦争を扱った映画に対する知識もさることながら、わからないことに対する欲求とそれを臆せず質問してくる行動力。彼のような若者がこの映画を今後さらに活かしてくれ、戦争というものを学び、平和な世界を築いていくきっかけになってくれるのではないかと希望を持てるような時間であった。
 さらに被爆者の方も発言されたが、その中で、世界はもちろんだが日本国内でより広く上映してほしいとの要望があり、改めて国内においての風化の怖さとともに如何にこの無残な現実を後世に伝えていくかということにおいて、この映画がもつ意味を再認識させられた。
 実はあるきっかけから、現在この映画をデジタル化して、修復し、綺麗にして海外で上映する作業にとりかかっている。今までよりさらに細部までがわかるようになり、改めて如何にこの映画が当時の状況や今後の平和への危機感をも描いていたかが鮮明になったと思うと同時に、より強く、出演された当時に広島市民の思いが痛切に伝わってくる。



 映画「ひろしま」(1953年)
  監督:関川秀雄  出演:月丘夢路・岡田英次・山田五十鈴
被爆した子どもたちの手記集「原爆の子」(長田新編)を原作に、被爆後8年の広島で、8万8千人の市民がエキストラ出演。原爆被災現場の救援所や太田川の惨状など再現し、また被爆者たちのその後の苦しみが描かれています。1955年のベルリン国際映画祭で長編映画書を受賞。しかし日本国内では、連合国軍総司令部(GHQ)に配慮した大手配給会社に敬遠され、一般に公開されることなく幻の映画となっていた。