「ピースあいち語り手の会」の活動          
運営委員 林 和子



■第9回例会が開かれました。

 6月26日、「ピースあいち語り手」の会第9回例会が開催されました。一宮、稲沢、春日井、瀬戸、岡崎、半田といった遠方からの参加者をはじめ、26人の語り手の方々が参加されました。
 斎藤孝 語り手の会代表は「戦争の記憶が薄れていく中で、貴重な体験を語る“語り手“の活動は、ピースあいちの活動の中でも大きな位置を占めている」と、あいさつ。その後、竹川日出男 事務局長から2016年度の活動報告、2017年度の活動―平和学習支援事業、夏の戦争体験語りシリーズ(「ピースあいち」にて)、愛知・名古屋戦争に関する資料館受託事業(夏休み特別企画事業・語り手派遣)、その他の戦争体験語り事業―について提案がありました。

加藤さんと堀田さん
 

  休憩後のフリートーキングでは、語り手の活動を通じての感想や、より良い伝え方やこの先の活動などについて。
  一口に「戦争体験を伝える」と言っても、なかなか難しいと皆さんは言います。
「子どもたちはもちろんだが、30代40代の人でも名古屋に空襲があったことを知らない。語りつづけることが大切だと思う」
「生の体験に変わるものはないと思うが、リアルに話していいのかと思うこともある」
「話す相手の年齢や立場に応じて、どうすれば伝わるのかをいつも工夫している」
「語る側の熱意が先走らないように気をつけながら、心を込めて『戦争の事実』を語ること。そうすれば子どもたちは分かってくれる」
…など活発な意見交換が行われました。

加藤さんと堀田さん
 

  最後に野間美喜子館長から「みなさんが語っていただけるうちにピースあいちができて、まったく戦争を知らない子どもたちに世界に一つしかないご自分の戦争体験をどう伝えるか、工夫され努力いただいている。この皆さんの体験をどうつなげていくか、数年前から語り継ぎのシナリオをつくる活動をすすめている。ピースあいち10年を機に、戦争体験者がいなくなっても、戦争の悲惨さを忘れないで伝えていく。みんなで知恵を出し合いながら “ピースあいち 語り継ぎ手の会”をつくりたいと考えている」と、報告がありました。





■「平和学習支援事業」に同行して

  7月12日午後、犬山市立犬山西小学校で行われた「平和学習支援事業」でお話をする「ピースあいち」語り手の小笠原淳子さんに同行しました。

加藤さんと堀田さん
 

  「総合的な学習として、6年生は『国際理解・平和学習』を軸に学習をすすめている。日本で戦争が起こった歴史は、社会科でも学習するが、戦争の恐ろしさや戦時中の苦しい生活を体験した方にお話を聞くことで、その悲惨さを子どもたちに実感させたい。また、夏休みの自由研究で平和をテーマに調べ学習したり、10月の秋の遠足や、11月の学習発表会でも平和に関する活動に取り組んだりするが、その動機づけとなるよう、戦争を身近に感じ、今の暮らしと比較ができるような体験を語っていただきたい」という犬山西小学校。
  平屋の木造校舎、両側に教室を配しその中心に広い広いスペース。そこに6年生105人が待っていました。

加藤さんと堀田さん
 

 「私が生まれた時はもう戦争が始まっていた。ずーと戦争の中で育ってきたの。戦争が終わったのはいつか知っている?」
「そう、今の皆さんと同じ国民学校6年生を卒業して、女学校に入った年だった。そのころは小学校と言わず国民学校といっていたのよ」
「1944年ぐらいになると都市ではどこも空襲が激しくなってね」
「今後10年20年戦うために子どもは兵士として大切だから、空襲のない田舎へと疎開させられたの」
「子どもだけで集団疎開。親元を離れてね」。
  黒い布で覆われた電灯や焼夷弾(実物)、自作の絵を見せながら、空襲下の暮らし、集団疎開での暮らしを語る小笠原さん。時折子どもたちに問いかけながらの語りに、子どもたちもぐんぐん引きこまれていきます。

加藤さんと堀田さん
 

  子どもたちから「どんなものを食べていたの?」「6年生卒業してからはどうしたの?」など次々と質問。45分間の「授業」はあっという間に過ぎていきます。終わってからも「聞かせてください」と小笠原さんを囲むように駆け寄ってくる子どもたちもいました。

  「あのこと話すの忘れたな。これも…。伝わったかな?」とレジメを指しながら小笠原さん。6年生の子どもたちが、同じ6年生の時、戦争真っ只中で生きた小笠原さんのお話から何を学んだのでしょう。
  1年間を通じて取り組まれる平和学習の中で「体験を聞く」機会があることはとても大事なことだと感じた午後でした。