「いわさきちひろ」展を前にボランティア学習会に参加して
ちひろさんと共に歩んだ丸山泰子さん   
運営委員  安井真理子 



    大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
    ぎこちない挨拶  醜く赤くなる
    失語症  なめらかでないしぐさ
    子供の悪態にさえ傷ついてしまう
    頼りない生牡蠣のような感受性
    それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
    年老いても咲きたての薔薇
                     (茨木のり子 『汲む』より抜粋)

 私は、丸山さんにお会いするたびに、この詩の全文を思い出します。以前そのことをお伝えしたところ、「素敵な女のひと」(『汲む』より)とは大人になっても子供の心を持ち続けたちひろさんですよとおっしゃいました。以来私にはいわさきちひろと丸山さんが重なって見える時があるのでした。今回ちひろと共に歩んで来られた半世紀のお話を聞き、ますますその思いを強くしました。

加藤さんと堀田さん

ボランティアの丸山泰子さんが講師の「ボランティア学習会」

  

 ちひろとの出会いは雑誌「子どものしあわせ」の表紙絵。子どもの幸せと平和を願う教師になりたいと思っていた丸山さんにとって出会うべくして出会った本だそうです。それ以後、ちひろの人生と絵から計り知れないほどの影響を受け、今なおちひろの魅力にとりつかれている丸山さんにはきっと「震える弱いアンテナが隠されている」(『汲む』より)のだと思います。
 松本市にあるちひろゆかりの地である城山公園の記念碑には「赤い毛糸帽の女の子」の絵があること、オーデンセのアンデルセン博物館に『おはなしアンデルセン』が寄贈されていたこと、今回のピースあいちでのちひろ展のチラシに使われた絵「はなぐるま」は、フランス映画「巴里祭」のラストシーンの後の場面を描いたのではないか、モノクロこそちひろの表現方法であるといえるなど、初めて知る興味深い内容と丸山さんの情熱が満載の勉強会でした。対象は何であれ、それに魅力を感じ、引き込まれていくものに出会えたことは人生の大きな喜びであり、やがては心の糧となってゆくのだと強く感じました。

 いよいよ7月18日から「いわさきちひろ展」が開催されます。丸山さんは絵を見るだけではわからない、エッセイを読むと理解度が増すとおっしゃいました。展示された絵を深く味わうためにも、ちひろの文章に触れておくことが必要だと思われます。

 



「いわさきちひろ」展を前にボランティア学習会に参加して
「ちひろさんに魅せられて50年」   
ボランティア  桑原勝美 



 標題の提供者、丸山泰子さんが「さん」付けで呼び、半世紀も前から現在まで魅せられている絵本作家、「いわさきちひろ」の真髄はどのようにして生まれたのだろう。

 丸山さんが示してくれた数枚の写真に、私の疑問に対する一つの回答があった。松本市の北西の丘には、ちひろが子どもの頃よく登った城山公園があり、そこからは北アルプスの山々と安曇野が一望できる。この穏やかで美しい景色がちひろの原風景となったのだ。
 敗戦後、ちひろが宮沢賢治に傾倒した青年時代、市内で認めた一枚のポスターをきっかけに講演会、勉強会に参加したことがご縁でリベラル党へ入党。そして画家としての自立を志して上京し、芸術学校で絵を学ぶ傍ら丸木俊のデッサン会でも修行を進める。

 私の疑問への二つ目の回答は、国会議員団事務所秘書と二人で交わした結婚誓約書である。丸山さんが高らかに読み上げてくれた「人類の進歩のために最後まで固く結び合って闘うこと」「お互いの立場を尊重し、特に芸術家としての妻の立場を尊重すること」など5つの約束を聞いて私は深く感動した。終始、優しい笑顔で情熱的に語りかける丸山さんに、ちひろのイメージを重ねることができる素敵な勉強会だった。