ピースあいちとともに10年◆日々・・感謝の10年    
ボランティア 佐 藤 和 夫

                                                
 

 戦争と平和の資料館「ピースあいち」が加藤たづさんの驚くべき決断によって名東区よもぎ台の地に誕生して早、10年。子どもならこの春から小学校4年生に進級する歳であり、とても感慨深いものがあります。

 私は縁あって開館時からボランティアとして参加させてもらっていますが、野間館長以下65名でスタートした陣容も物故者数名を含めて年配者等31名の方が去られ、片や新たに加わられた方も含めて今では100名近いメンバーで運営されていることに力強さを感じます。

 私は主に広報班の仕事と展示ガイドの仕事をしていますが、特に力を入れているのが「ピースあいち営業第三課員」としての来館要請活動です。

 「ピースあいち」は開館以来、6万4千人を超える方々に訪問して貰いましたが、これは2階の常設展示「愛知県下の空襲」コーナーの写真で米軍のB29戦闘爆撃機の攻撃を受けている三菱重工名古屋発動機製作所大幸工場跡に建てられた中日ドラゴンズの本拠地「ナゴヤドーム」を1回半にわたって超満員にする人数です。そのうち、営業第三課員の私が動員したのは家族、親族、元職場の同僚、同級生、恩師、サークル仲間、近所の人達など延べ95回にわたる346人を数え、ライトスタンドの一角に陣取って『ピースあいち頑張れ!!』と声援を送ってくれていることになるのでしょうか。

絵はがき

2016.5.29 SEALD’s代表 奥田 愛基さん来館時に展示説明をする筆者

 そして、小・中学生を含めた若い人への展示ガイドに際しては、「悲惨な空襲被害」の前に、アジア諸国への侵略という「加害」の事実があったことを知ってもらうよう心掛けています。

 しかしながら、この10年にわたる「ピースあいち」の奮闘などにもかかわらず、残念ながら改憲派の動きはなお急であり、このままでいくと先の15年戦争においてアジア全体で2,000万人を超えるともいわれる犠牲の上に制定された世界に比類なき平和憲法が危うい状況となっています。

 何としても平和憲法を守り抜くために今暫くの間、バッグに各種企画展チラシを忍ばせながら「ピースあいち」の活動に頑張りたいと思っています。

 最後になりましたが、「ピースあいち」の一員として、平和の種を蒔き育てる仕事に携わらせてもらっていることについて、野間館長をはじめ理事、運営委員の皆さま方に感謝申し上げます。 併せて、広報班の仕事の一環としての各企画展チラシの印刷にあたり、これまでおよそ52万回余にわたって回転してくれた輪転機「RISOGRAPH」に謝意を表する次第です。