『原爆の絵』の現在地を訪ねて   
運営委員 吉岡 由紀夫



 「ピースあいち」は、開館10周年の特別企画の一つとして、丸木位里・俊『原爆の図』と市民が描いた『原爆の絵』展を2月14日から3月25日まで開催しました。

加藤さんと堀田さん

  

 展示に関わるスタッフで、『原爆の絵』が描かれた場所が現在どのような状況となっているかを写真で展示しようと話し合い、広島市と近隣の市町を、4人で5日間、27か所を訪ねました。
 被爆市民が描いた絵には、「タイトル」「作者の言葉」「情景の日時」「爆心地からの距離・場所」「作者氏名(被爆当時の年齢?絵を描いた時の年齢)」等が記されています。場所の記述には明確なものと大まかなものがあり、現在地を探すことは大変でした。
 しかし、「『原爆の絵』の現在地を名古屋市から来て調べていること」をお伝えすると、市民の皆さん(被爆者の方も)から、たいへん親切に当時の場所や原爆の様子を詳しく話していただきました。

 
加藤さんと堀田さん

  

 渡邉昭惠さんが描いたタイトル「何かを落とした」の絵は、8月6日午前8時過ぎの出来事。爆心地から2300メートル離れた倉敷航空機株式会社広島製作所から上空を見た絵です。現在、会社はなく、吉島・舟入・観音地区から、当時の場所を確認しなければなりません。ボランティアのKさんと二人で、聞きまわっていると「お風呂屋さんで聞いたら」と言われ、近所のお風呂屋さんの番台の女性に聞いていると、着替えていた男性に「○○病院のところです」と教えていただき、現在地を設定することができました。
 図録『原爆の絵』(岩波書店発行)の表紙絵になっている、小林サチ子さんが描いたタイトル「あの空を忘れない」は、8月6日の夕方、爆心地から18.8キロメートル離れた呉市から西方の広島を描いた絵です。呉市在住の友人に協力してもらい、市内東にある国立病院呉医療センター(1889年発足呉海軍病院)の10階ぐらいの高さから見た絵だとして写真を撮りました。

 2月23日付朝日新聞(広島地域版)では、「聞きたかったこと被爆72年」と題し、自責の念 原爆の絵『助けてあげられなくてごめんなさい』を描いた加藤義則(現在88歳)さんの記事を見つけました。この絵は小学校教科書に載っている有名な絵です。記事からは、現在も『原爆の絵』から平和・ヒロシマを問うていることを感じました。
 今回の企画に取り組んで、過去の出来事と現在を写真で結びつけることが、原爆をより身近に感じ、考え、行動することにつながるという大切なことを学びました。