ピースあいち10年のあゆみ展を見て            
ボランティア 林  收



 テーマは「10年のあゆみ展」となっていますが、内容は創設前の15年に及ぶ歴史も含んでいました。1993年「戦争メモリアルセンター」の開設を愛知県・名古屋市に働きかける運動に始まって、県・市が足踏みを続ける中、独自の会合、展示、呼びかけなどを催し続けながら「NPO平和のための戦争メモリアルセンター設立準備委員会」を立ち上げるまでに10年を要しました。
 その2年後、名古屋市民ギャラリー矢田において「平和のためのモデル展」を開催したことが資料館開設の大きなきっかけを呼び込む幸運をもたらしました。それはこの展示会の開催を新聞紙上でご覧になった高齢の女性から資料館建設のための土地と資金の寄付をするという申し入れがあったということに始まります。これを受けて県・市にこの寄付を受けて建設に踏み切るよう要請したが、困難であるとの回答を受け、NPO独自の戦争資料館建設に踏み切ったことが説明されていました。
  資料収集、既存資料館の見学、募金呼びかけなどの準備期間を経て、2006年建設着工、名称を「戦争と平和の資料館ピースあいち」と決定し、翌2007年5月4日開館に漕ぎつけました。

名古屋空襲名古屋空襲

左:原爆ドーム鉄製模型  右:アンネのバラ

 

 今回の展示は、開館以来10年の間に実施してきた数々の貴重な展示の足跡記録や友好団体などとの交流等で埋まっていますが、パネルの隅っこにひっそり載せた「寄贈を受けた原爆ドーム鉄製模型」や「アンネ・フランクにまつわるアンネのバラ」など「ピースあいち」の雰囲気をかもすのにふさわしい品揃えも込められています。 展示では特に取り上げられておりませんが、この10年「ピースあいち」をじっと見守っていたものに平和のシンボルというべき「平和地蔵」があります。館の前庭の向かって右側に立っているこのお地蔵さんがこの場所に落ち着くまでには戦後の深い歴史を経たいわくがあるようです。そのことを受けて毎年3月には、平和地蔵の前で名古屋空襲犠牲者の追悼式が催されています。 「ピースあいち」の次の10年がさらに安定した活動を進められるよう、会員の拡大と日常的な支えの中心となるボランティアの拡充が期待されます。

名古屋空襲名古屋空襲

左:平和地蔵 右:ともし火法要