ピースあいちとともに10年◆私の中の「ピースあいち」   
ボランティア 近藤 直美



新聞記事

「これは私の戸籍謄本です」

 

  初めて「ピースあいち」を知ったのは、11年前の新聞記事でした。二度と戦争のない事を願って活動している方々を知り、私も少しでもお手伝いができたらと思い参加しました。
 私がそんな気持ちになったのは、70年前、幼子二人を連れて一年四か月かけて満州から引揚げてきた母が時々思い出したように「あんな辛い体験は世界中の誰にもさせてはいけない」と言っていたことです。私が「明日はピースあいちに行って来るね」と言うと、「私は戦争中の事思って、今日の幸せを感謝するわ」そんなこと言っていました。

 ボランティアとしてあまりお役にはたっていませんが、皆さんと出逢えた事、資料班の手伝い、お地蔵様の涎掛け作り、千羽鶴作り(来館者のみなさんが折ってくださった鶴を繋ぐ)、足袋作り…。2013年夏の「絵本はだしのゲン原画とマンガ展」の時はゲンちゃんの洋服作りをしました。

新聞記事

ゲンちゃんの洋服も作りました。

 

 ゲンちゃんの洋服の材料は資料班の加藤中子さんの甥子さんの古い学生服とカッターシャツでした。「きっとゲンちゃんの時代は皆んなからいろいろ物を頂いて勘考しながら生活していたのでしょうネ」。そんなお喋りをしながら楽しく作りました。
 皆んなでのお昼ご飯、三時のコーヒータイム、いろんな話題のお喋り…

 

 私の人生後半は「ピースあいち」で充実したものとなりました。
 「ピースあいち」が末永く大勢の方々に来館していただき、幾多の展示品・写真の前で静かに平和と戦争を感じていただきたいです。