◆所蔵品から◆資料ナンバー2586その他 日本国憲法ができるまでの新聞の話
資料班



 春の連休の中の、5月3日は憲法記念日です。
 今回は、戦争が終わった後、新しい憲法ができていく途中の新聞記事をご紹介します。

朝日新聞1945年10
月14日 聖上 憲法改正に御着手

朝日新聞1946年10月14日

 日本がポツダム宣言を受け入れ、マッカーサーが来た後。
 天皇から憲法改正の提案が出て、いろいろな案が出て、最終的な案が出て、マッカーサーがOKを出して、最終案が公表されて、政府の「ご意見募集」が新聞に載る、という、1946年3月あたりまでをご覧いただきます。

 最初に、1945年10月14日の新聞です。
 「憲法改正に当っては、天皇陛下御躬ら(みずから)御発案される以外にはなすことを得ず」と書かれています。手続きとしてはまず天皇が発案する、と旧憲法で定められています。
 憲法改正のとなりの記事は、「満20歳以上の男、女子に選挙権 改正案、閣議で決定す」です。選挙権が「満25歳以上」から「満20歳以上」に引き下げられ、女性に選挙資格を認めることで、有権者は「四千二百万人」「前総選挙の三倍」になったと書かれています。

朝日新聞1946年1月24日 政府の憲法改正案 選挙告示前に公表

朝日新聞1946年1月24日

 翌年、1946年1月にはこんな記事があります。「政府の憲法改正案 選挙告示前に公表」。この年の4月に総選挙が行われます。衆議院で憲法改正案を話し合うのはこの選挙で選ばれた議員たちです。


朝日新聞1946年1月23
日 民間の二憲法改正案 自由党 朝日新聞1946年1月23
日 民間の二憲法改正案 弁護士会

朝日新聞1946年1月23日

 いろいろな所から憲法改正案が出ています。1946年1月23日の新聞には自由党の案 「統治権は国家に 責任内閣制度を確立」と、弁護士会の案 「国民投票制新設 皇室典範に譲位規定」が紹介されています。

朝日新聞1946年2月16
日 主権在君を基調 進歩党の憲法改正案 朝日新聞1946年2月25
日 社会党の憲法改正案 朝日新聞1946年3月7
日 尾崎氏らの憲法草案

朝日新聞1946年2月16日
朝日新聞1946年2月25日
朝日新聞1946年3月7日

 上から、
進歩党の案 「主権在君を基調」
社会党の案 「主権の主体は国家 統治権の大部は議会に」
尾崎行雄氏を中心とした憲法懇話会の案 「天皇議会共治制 土地公有、大企業も公営」
です。


朝日新聞1946年3月8日 政府の憲法改正案要綱決る

朝日新聞1946年3月8日

 1946年3月8日の新聞には、3月6日の閣議で決定した「憲法改正草案要綱」が載っています。前文と11部門、95項目がすべて載っています。


朝日新聞1946年3月8日 政府の憲法改正案要綱 第九から第十三の途中まで

朝日新聞1946年3月8日

 草案の中の、「第二 戦争の放棄」と「第三 国民の権利及義務」の最初のほう、第九から第十三の途中までを見てみます。このあたりの条文は、学校で憲法について習った時に読んだことがある、覚えている、という方もいらっしゃると思います。
 覚えてるのとなんか違う?
 この後言葉づかいは全面的に直されます。

朝日新聞1946年3月8日 マ元帥全面的に承認

朝日新聞1946年3月8日

 マッカーサー(文中ではマックアーサー)元帥が承認した、という記事も載っています。

朝日新聞1946年3月17日 憲法草案 ご意見を伺いたし 政府から皆さんへお願い

朝日新聞1946年3月17日

 最後にご紹介するのは政府からの「ご意見募集」の記事です。
 「東京麹町区霞ヶ関 内閣審議室」に「皆様の率直なご意見を」送ってください、という内容です。このことを新聞で読んだかラジオで聞いたかも「是非お書き添え」ください、と書いてあります。新聞とラジオで広く意見を募集していたようです。


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http://www.peace-aichi.com/20170422_atarashiikenpou.pdf
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