ピースあいちとともに10年◆フリーペーパーで見つけた「ボランティア募集」   
ボランティア 大久保 清子



新聞記事

早速出かけたボランティア説明会

 

 10年前の春、ポストに入っていたフリーペーパーの隅に載った三行程の「ピースあいちボランティア募集」のかこみ記事が目に留まりました。人生の転機というか、何かやりたいなと思っていた時で、早速、説明会に出席。「いいな。何か役に立てれば…」とボランティア登録をしました。戦死した父のことがずーと私の中で漠然とですが気になっていましたが、生活に精いっぱいで調べる余裕もなく、ボランティアをしている中で当時のことが少しでもわかればという思いもありました。

 私の父は、昭和20年5月、フィリッピン・ルソン島にて戦死(餓死?)しました。
 昭和17年、父22歳、母18歳の時結婚し、翌年私が生まれました。父は私の顔を見ることなく出征し、遺骨もなく戦死広報だけが帰ってきました。顔も知らない父です。私たち親子の人生が変わってしまいました。戦後母が再婚し、次々に下の子たちが生まれましたが、私が10代の時、母も亡くなりました。父のことを聞く機会もなく、聞いてはいけないと思って・・・。ボランティアに参加することで、父を身近に感じられるかなと思いました。「ピースあいち」で展示を見たり、体験者のお話を聞いたりしている中で、今は、父がフィリッピンの山中で、“敵と戦って戦死”ではなく「餓死」だったのではと思えます。

 私のボランティア活動は、パートで働きながら月2回だけですが参加しています。
 当番以外で戦跡を訪ねる日帰りバス旅行、竹内浩三の地元伊勢に連れて行っていただきました。8月の特別展では「はだしのゲン」の原画展や丸木美術館からの「原爆の図」展など、学びながらの当番です。他のボランティアの方たちと和気あいあいと楽しく、日常と違った時を過ごしています。
 戦争は絶対にくり返してはいけないと強く思い、体力の続くかぎり参加していきたいと思います。