◆所蔵品から◆資料ナンバー8245その他 名古屋城と大阪城の話
資料班
離宮 (名古屋城)
2017年4月からピースあいちで企画展「名古屋城が炎上した5月―『名古屋大空襲』展」が始まります。名古屋城が空襲で焼けたのは1945年5月のことでした。
今回の「所蔵品から」では、名古屋城に関する資料をご紹介します。おまけで大阪城も出てきます。
まずはこちら。お堀の向こうに名古屋城の天守閣。西のほうから見たところです。
「離宮(名古屋城)」って書いてある。名古屋城は天皇の別荘だったことがあるのです(1893年~1930年)。
「金城の朝日」
名古屋毎日新聞昭和13年1月1日附録
名古屋城は、江戸時代には徳川家のお城でした。
明治になると、陸軍が名古屋城に入ります。本丸が離宮になった時にもその外側には第三師団司令部がありました。
新聞の附録の絵をご覧いただきます。サイズは約27cm×38cm。お城が背景に見えるところで訓練というか演習というか、大砲を扱っている兵隊たちが描かれています。遠く(画面左端)に日の丸が描かれています。ご覧いただけるでしょうか。空には飛行機が飛んでいます。
学童召集令状
学童召集令状です。日付は昭和16年3月27日。名古屋城内の中部第十三部隊第一中隊に来るように、と書かれています。この時もお城の中に軍隊があったのです。
朝日新聞夕刊1943年1月8日 「愛知県消防出初式」
新聞に載っている名古屋城です。消防の出初(でぞめ)式(本文の中では消防初(はじめ)式)の記事です。
中部日本新聞1945年5月15日
1945年5月15日、空襲の翌日の新聞です。
「12時までに概ね鎮火」「17機を撃墜破」「天晴れ消火に市民の敢闘」
もしかして名古屋城のこと載ってないのか?
中部日本新聞1945年5月16日
さらに翌日、16日の新聞には載っていました。
絵はがき 名古屋城
前回の寄贈品展(2016年12月~2017年1月)で展示した資料の中に名古屋城の絵はがきがありました。
大阪朝日新聞 昭和6年(1931年)11月5日号
以前メルマガ「所蔵品から」で、大阪城天守閣再建の新聞記事についていた広告をご紹介したことがあるのですが
(資料ナンバー2150 新聞の広告の話)、
その時の画像をおまけでご覧いただきます。
大阪城再建は昭和6年、1931年のことです。金の鯱(しゃち)の向こうに見える建物は第四師団司令部。名古屋城と同じように屋根には鯱があり、名古屋城と同じように陸軍が入っていました。
80年以上前に建てられたのですが大阪城は鉄筋コンクリート造です。2基のエレベーターもありました。市民の寄付150万円で再建が成されたそうです。
詳しい画像はこちらからどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/20170322_nagoyajou.pdf
ピースあいちウェブサイトの、所蔵品の紹介のページからも、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/05_objects.html