3・11を忘れない◆「福島の今・写真展」と「震災と戦争展」   
事務局次長 竹内 宏一



 2011年3月11日、東日本大震災・福島第一原発大事故。あれから6年。福島原発周辺の人々は、故郷を追われ、6年経た今日も故郷に帰還できない。「ピースあいち」は、この間、“3・11”を間にはさんで、翌年2012年から毎年、“3・11を忘れない”と福島原発事故に関する企画展を開催してきた。

加藤さんと堀田さん

福島の今・写真展

 

 今年は、3月7日(火)~4月29日(土)まで、2Fプチギャラリーで「福島の今・写真展」と「震災と戦争展~新聞に見る戦時中の大震災と今~」を開催している。福島に関する展示は「チェルノブイリ救援・中部」の協力である。

 3月11日(土)には、福島原発周辺の現状を知っていただくため、以前「ピースあいち」でボランティアをしていた神谷俊尚さん(チェルノブィリ救援中部・理事) による講演会を開催した。
 神谷さんは、震災直後から今日まで、福島県南相馬市にはりついて南相馬の人々と連携し、「放射能測定センター・南相馬」を拠点にして、放射能測定や救援活動に取組んできた。展示コーナーでは、震災直後と現在の原発周辺地域を、同じ場所・同じアングルから撮った写真を上・下に並べて展示してある。
 また、「福島民報」「福島民友」という地元紙の震災直後(3月12日~14日)の一面の紙面が展示してある。この地元紙のトップ見出しは、私たちの地元の新聞紙面と相当異なっていたことを知ることができる。

 福島原発周辺では、この3月末と4月1日で避難指示が解除される。原発被災地域は、「帰還困難区域」(年50ミリシーベルト超)、「居住制限区域」(年20ミリシーベルト超)、「避難指示解除準備区域」(年20ミリシーベルト以下)に分離され、それぞれ対策されている。今回、「帰還困難区域」を除いた地域が解除されるのである。故郷へ帰還してよい、とのことである。避難指示解除に伴って住宅支援などの補償が打ち切られる。
 避難指示解除の前提は、年20ミリシーベルト以下の区域であることが基準となっている。20ミリシーベルトは、とんでもない放射能数値である。一般の人々の基準は、年1ミリシーベルト=1時間0.23マイクロシーベルトであり、一般人が入れない「放射線管理区域」が年5ミリシーベルト以上である。故郷に帰還するにしても、放射能の恐怖におびえる日々が続くのであり、居住環境も整備されていない現実がある。
 今、戻れない「帰還困難区域」には、原発事故前には約2万5千人が住んでいた。この地域の人々は、いつ故郷に帰れるのか、その見通しは全くないのである。これが、6年を経た福島の今、である。

 私たちは、この福島原発事故による現実の姿を知り、それを忘れない、との想いを共有し、多くの人々に訴えていかなければならない。「ピースあいち」は、来年も、再来年も、福島を取上げ展示していく。