一泊二日の沖縄の旅   
運営委員  坂井 栄子



 今年6月に開催する沖縄展は、沖縄県のハンセン病患者が苦しんだ差別と偏見の歴史、特に沖縄戦においてハンセン病患者が受けた受難に焦点をあてた展示です。そこで、沖縄県名護市にある愛楽園交流会館からパネルを借りることにし、挨拶とお願いのために2月21日にスタッフ3名で沖縄へ出かけた。

 寒い名古屋から那覇に着くと「暑い!」と感じ、先ずはコートを脱ぐことから始まり、レンタカーで那覇の北の屋我地島を目指した。
 愛楽園に到着後、交流会館の学芸員と国立療養所沖縄愛楽園自治会長のお二人に会い、「ピースあいち」の展示企画の詳細や借用パネルのデータについての打ち合わせを行った。
 一昨年に次いで2度目となる展示室のパネルを見たり、自治会長の「故郷へ帰りたくても帰れない元患者がいる」という話をうかがって、事実を知ってもらうためにも「ピースあいち」で企画展をやる必要性を感じた。

加藤さんと堀田さん

今帰仁城跡地

 

 愛楽園を後にして、世界遺産の今帰仁城(なぎじんぐすく)跡地へ向かった。鮮やかなピンクのカンヒザクラがきれいであったし、曲線の野面積みの石垣はとても美しかった。
 翌朝は、ハンセン病患者が住んでいたというバクチャーヤーの跡地(詳細は企画展で)の公園を探し、持参した写真の電信柱や柵の模様から「ここだ!」と証拠写真を撮った。
 対馬丸記念館と不屈館には挨拶だけをして、佐喜眞美術館へ向かった。
 「収蔵品展-賛歌-」としてシャガール、丸木位里、俊、スマ、大道あや(位里の妹)等の絵があり、60歳過ぎてから絵を描き始めたという大道あやの絵の素晴らしさに感動させられた。
 常設展示の大作である「沖縄戦の図」の前には小さな椅子が3つ間隔をおいて置いてあった。「じっくり、どうぞ!」という感じかな?
 館長にお会いして「沖縄戦の図」が佐喜眞美術館に来た理由をお聞きしたら、「公的な所はどこも引き取ってくれなかったから」とのこと。
 屋上への階段である6段と23段(慰霊の日の6月23日を指しているとは知らなかった)を上がり、普天間飛行場を眺めたが、美術館の前の森が大きくなっていてごく一部しか見られなかった。これは意図的ではなくて、自然に森の木々が成長したということであった。

加藤さんと堀田さん

普天間基地

 

 館長の見送りを受け、美術館を去ろうとしたまさにその時に1機のオスプレイが着陸しようとしているのを見て、私たちは少し興奮した。しかし、次に移動した嘉数高台公園の展望台から眺めた広大な普天間基地にオスプレイが10機近く駐機しているのを見て現実に引き戻された。ここは米軍基地なのだ。

 慌ただしい沖縄の旅であったが、やたら道路工事をしている自動車道が多いことや、本土とは違う風景や石垣牛や沖縄そばの味も堪能してやはり、現地に行ってこそ実感できることが旅の魅力だと痛感した。