幻の映画『ひろしま』上映への想い   
ボランティア 吉田 稔           
   



丸木位里・丸木俊「原爆の図」と市民が描いた「原爆の絵」展の関連イベントとして映画『ひろしま』の上映会が2月18日・19日の2日間開催されました。2日間の観客は103人と盛況でした。

映画の写真

 

 「ピースあいち」のイベント委員をしている私は、昨年の秋にテレビ番組で映画『ひろしま』に関する特集を見て、ぜひ「ピースあいち」でも上映できないかと思っていました。同じころ、イベント担当の運営委員からも来年の「原爆の図」展の関連イベントで検討したいと相談もあって、自分のなかでは「即、進めよう!」と決めました。

 『映画・ひろしま』について調べて見ると、次のようなことが分かってきました。
 原作は、自らも被爆者であった長田新氏が編纂した文集『原爆の子~広島の少年少女のうったえ』(岩波書店、1951年)で、同じ原作から新藤兼人監督による映画「原爆の子」が1952年に公開されています。
 日本教職員組合が映画化を決定、関川秀雄監督により1953年に製作された日本映画です。1955年に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞しています。
 画期的なことは、この映画が広島市民の全面的協力の下で制作され、多数の広島市の中学・高校と父母、教職員、一般市民など約8万5千人が手弁当のエキストラとして参加したことです。上映にあたっては、GHQの管理下は終わったもののあまりに生々しい映像に、一般公開の劇場が二の足を踏み一般公開ができませんでした。(海外で上映し、ベルリン国際映画祭長編映画賞)

 この幻の映画を表舞台に引き出したのは、2007年の「第2回ヒロシマ平和映画祭」での初の再上映でした。この時に登場されたのが、映画『ひろしま』で助監督をしていた小林太平さんの息子さんの小林一平さんでした。この上映を機会に、小林一平さんを中心に仲間が集まって、核廃絶のために、この映画の上映会を全国に広めようと、『奇跡への情熱 核廃絶プロジェクト』が立ち上がりました。
 全国で自主上映会が展開されて、名古屋でも2013年8月6日に当時の民主党議員の近藤昭一さんが中心となって上映会を開催されました。(約900名が参加)
 残念なことに、一平さんは、戦後70周年の2015年に急逝されてしまったのです。68歳でした。ところが、その息子さんの小林開さんが、すぐにその志を引き継がれました。

 

 このように調べていくと、小林開さんのフェイスブックで開さんの携帯電話番号を発見し、即、電話して11月末に東京で会うアポイントを取ることができました。まだ、40代の若い開さんの『ひろしま』上映に対する熱い思いを新宿の喫茶店で聞きながら、多くの名古屋の皆さんにも見せたいと強く思いました。