寄贈品展で父の遺品と向き合って      
運営委員 林 和子



加藤さんと堀田さん

寄贈品展

 

 昨年末開催された「ピースあいち」の『寄贈品展』に、母が残した戦争中に父が使っていたものや戦地からの手紙や書類などが展示された。その前の年に、そろそろ実家の倉庫を整理しないといけないと思い片づけていたときに、父の軍服や子供用のちゃんちゃんこ、辞令や勲章、債券証書、戦地からの手紙(軍事郵便)、写真などが出てきた。兄や姉と相談し、私がボランティアをしている「ピースあいち」に持ってきた。手紙はいつか読もうと手元に残して…。

 「ピースあいち」の『寄贈品展』が企画され、父の遺品も展示されることになった。担当の方から「これらの遺品は、何処で使われたものか…。」と聞かれ、「???」。父が職業軍人だったことは知っていたが、兄や姉に聞いてもよくわからない。
 何か調べる方法はないかとネットを開いてみたら、軍歴は都道府県に、所属部隊の動向は靖国神社や国会資料館などで聞くとよいと出ていた。さっそく戸籍謄本を取り寄せ、三重県庁に問い合わせた。所属部隊が分かり今度は、靖国神社の偕行文庫に問い合わせた。
 その結果、父は「昭和13年9月北支作戦参加のため南苑に展開→14年6月ハイラルに展開・ノモンハン事件参加→16年10月南方戦線へ→17年1月マニラ上陸。以降終戦まで東部ニューギニアで戦闘に参加→連合軍に降伏しムッシュ島の捕虜収容所に収容→21年1月復員」ということがわかった。
 担当の方は「お父さんの部隊は生存率4~5%だったんです」と言われた。

加藤さんと堀田さん

寄贈品展

 

 「ノモンハン」」「ニューギニア」…、「ピースあいち」の2階の展示や体験者の語りで歴史の一部として若干の知識はあったが、そこに父の姿を見ることは全くなかった。驚くことばかりだった。
 父の戦地からの手紙は、1943(昭和18)年当初までは来ているが、それ以降は無く、1945(昭和20)年9月東部ニューギニア「ウエクワ」より、「捕虜となっているが、元気だ」と知らせてきている。
 今回「展示」という機会がなかったら、そのまま知らずにいたかもしれない父の歴史。

 兄や姉も寄贈品展を見に来て、初めてじっくりと遺品に向き合い、驚くことばかり。父から戦争体験を聞いた事もなく、母がどういう思いでこれらの品々を残していたのか、今は知る由もないが…。
 遺品や手紙から見えてくる、「戦争」が生き方や暮らしを一色に染め上げていく恐さ、命を奪い、投げ出すことをあたり前とする「戦争」。
 子どもたちや孫たちにしっかりと伝えていかねばと思う。