今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより           
   



この夏開催した「私の八月十五日展-マンガ家・戦争体験者―あの日の記憶」。いただいたアンケートの中にも「私の八月十五日・あの日の記憶」をつづってくださった方がたくさんありました。当館のツイッターには「年齢によって本当に感じ方が違う。従軍していた方、学徒動員されてた方、いろいろ従軍していた方は『良かった、生き残った』といった感想、学齢期だと『勝つと言ってたのにどうして』など戦時教育からの疑問、幼児だと親がほっとしていた・泣いていたなど風景の印象が多い気がした。いずれにせよ、私たちが知らない恐ろしい時代を生き抜いてこられたのだと、あらためて実感した」との投稿が寄せられていました。みなさんの思いを8月後半にいただいたアンケートから…。

■アンケートより

私の8月15日は、学童疎開先のお寺でした。「ああこれで家に帰れる」と思いました。父も「これで二人の子ども達が帰ってきて一緒に暮らせる」と喜んだそうです。12歳でした。私たちにとって8月15日は解放の日でした。父は7年に及ぶ政治犯の生活が終わったのです。(83歳女)

戦争の時代を生きた者として伝えてゆかなければと思う。(82歳女) 
「八月に忘れられない ひと日あり 集団疎開へ 十才で発つ」

八月十五日展のチラシ・ポスターを見て来ました。このようにまとめられた展もなかなかなく、本も今人社のこともよく知りませんでした。(73歳女)

子どものころから馴れ親しんだ漫画家の方々の名前がほとんど出てきていて、自分もあの時代とつながっていたのだと実感しました。(50歳男)

まんが家の作品が印象的でした。特にちばてつやさんのファンです(66歳女)

終戦の時というのが印象的でした。3階の展示を見て、現実をみた気がしました。まだ知らないことがたくさんあることを実感しました。(49歳女)

平和は私たちの暮らしの基盤。人間らしく生きるための基盤。なぜまた過ちをくり返してしまうのだろう。71年間築いてきた平和を守りたい!もう誰も死ぬのはイヤだ。悲しむのはイヤだ!!(33歳女)

以前来た時には、位里夫妻の「原爆の図」で来た。よくこんな絵が描けたなとHPに載せました。今回は、また、資料の多さに胸うたれました。自分も名古屋で、空襲を逃げ疎開しましたから、戦争への道を歩かせないため、できることをしようと思いました。(79歳女)

ゾウれっしゃの展示、3階の展示は、今までにも絵本などで見て知ってはいましたが、あらためて戦争の無意味さ(何も築かない、生み出さない)を痛感しました。(73歳女)

展示会の存在に未来への希望を感じました。説明資料をゆっくり見るのは疲れますが、何かいい工夫はないでしょうか。写真やモノが訴える展示が、若いころ読んだ本の内容をよみがえらせてくれました。(75歳男)

第2次世界大戦の始まる昭和16年に生まれました。父は一週間前に出征し、帰って来たのは小学校入学直前でした。満州から帰り、満99歳まで生かされましたが、終生戦争は絶対やってはならないと申しておりました。一人でいろいろな講座や講演で学び、戦争法案に反対し、周りには言って聞かせ、デモで大声で行動しています。家族・友人など多くの人に「ピースあいち」に行くよう申します。(75歳女)

情勢が日々変わっています。今まで伝えられていなかった情報が明らかになり、今まで学校で教えてもらった「戦争」がアメリカを中心とした戦勝国側からの見方であることがわかってきました。日本がどうして戦争に入っていったのか、アジアのたくさんの国がどうして独立できたのかなど、もっと知らせる必要があります。慰安婦問題など、日本人が日本人をはずかしめるためにやったとしか思われない問題など、新しい視点が必要です。(76歳男)

ひとりひとりの証言は重くそして真実です。思い出したくないような悲惨な体験かもしれません。それをあえて語ってくれています。私たちは、その思いを受けとって、次の時代に伝えなければならないと思いました。(58歳女)

学童の子どもたちと来ました。今の平和はただ何もなく平和であるわけではないこと。戦争はイヤだということを低学年でも感じ取り、高学年は、戦争の現実を知り、深め、これからの社会を考えていく子になってほしいと思い、毎年平和学習の一つとして来させていただいています。ていねいにご説明いただき、ありがとうございます。(45歳女)

こんなにたくさんの資料があると思いませんでした。以前この近くに住んでいました。良い建物があり、びっくりです。(65歳女)

北病院主宰の戦跡めぐりに参加した時、バスに同乗した人から「私の八月十五日展」のパンフレットをいただきました。私の両親も亡くなり、もう戦争に関する話も周りで聞かなくなりました。名古屋大空襲の記憶が私にありますが、最近、戦争そのものをもう一度自分の中で考えてみたいと思い、来館させていただきました。私も母の田舎に疎開していましたが、終戦の日の記憶はありません。本日はとても勉強になり、また皆様のご努力に感謝します。(77歳女)

玉音放送が聞けてたいへん良かったです。これからもこういう活動を若い人に伝えていって下さい。(61歳男)

水木しげる先生は、戦争を題材としたマンガを多く描かれています。水木しげる先生を特集した展示会を希望します。昨年の竹内浩三さんの展示のような催しを期待します。(54歳男)

一度訪れたいと思いながら初めて来館させていただきました。少年時代戦争(空襲)で、ほんの1mまでに爆弾が落ちましたが、不発で助かりました。また、機銃掃射も受けました。しかしこうして生きられたこと幸いです。戦争は決してしてはいけないと、ささやかな行動はしております。いい展示ありがとうございます。(84歳男)

「私の八月十五日」は、著名人から一般の方まで人生の転換点をさまざまな感慨を語り綴っていることに深く感動し、自分の父母に思いをはせました。(71歳男)

戦争に関する資料がたくさんあるのは、たいへんためになるが、開館時間が短いので、じっくり見聞きするには足りない。できれば、10時~17時頃までにしてもらえないでしょうか。一社駅から遠いので、なかなかピースあいちに出向こうということになれないので、気になった企画の時くらいしか来れないです。それ故、その機会にきちんとピースあいちが訴えたい事を知りたいです。(50歳女)

戦争の資料は今まで抵抗があって、なかなかじっくり見ることがありませんでしたが、愛知県ということで身近に感じ、より現実的に見ることができました。(手紙や遺書や実弾など)(39歳女)

戦争が始められれば誰かが犠牲になる。国のために戦うことが正義だとして、異を唱える人がいても、思想の統制を受けた。とりわけ子どもの学ぶ権利が失われたことは、大きいと思います。展示を見ることで、学ぶことがたくさんありました。(25歳女)

ガイドの説明がとてもていねいで、特に時折投げかけられる質問に「平和ってなんだろうか」ってあらためて考えさせられました。(45歳女)

東京在住ですが実家に帰省した際、以前より見学させていただきたいと思っていました。母は戦時中勤労学徒で飛行機部品を作る工場で働いていました。子どもの頃より、家が爆弾で焼かれてしまったこと、二階に鳥居松工廠の写真が飾られていましたが、そこで米軍機の機銃掃射を受けた話をよく聞きました。私が生まれるわずか20年弱前、名古屋に住んでいた数多くの方々が犠牲になられたこと、ご無念の気持ち、戦争の恐ろしさ二度とこのようなことがないことを願います。丁寧に見ようとすると時間が足りませんでした。ありがとうございました。(52歳男)

敗戦の日は9歳でした。両親は涙を流して戦争に負けたといっていましたが、私は部屋中をとびまわって大喜びでした。おさな心にもどれだけ空襲の怖さがあったのかと思います。母がこれからはイバラの道だよといったのをおぼえています。(79歳女)

「自虐史観で」と言われてしまい展示内容を変えた平和博物館がありましたが、こう言った社会史的な内容を扱うためには、市民の手で運営すべきなのだなと、この博物館を訪れて強く思いました。これからも、たいへんなことが多いかと思いますが、ずっと続けて下さい。(25歳男)

「私の八月十五日展」、たいへん興味深く、また重い気持ちで拝見しました。やはり極限の戦地・ラバウルでその日を迎えた水木しげるさんの絵と言葉には、圧倒的な重みがありました。また、昔からドラゴンズファンの私には、かの大投手杉下茂さんの投球の原点が手榴弾投げ的訓練だったというのも衝撃的でした。常設展も、前回(およそ1年前)とはまったく違った色合いを含んで見えるようになり、改めて最初から最後までじっくりと拝見しました。また新たな企画展の折には、足を運びたいと思います。(37歳男)