命の重さ   
金城学院中学校教諭 中田 路実



 「命の重さってどんな重さ?」と聞くと決まって「地球より重い」と答える中学生。私自身そのように答えてきました。しかし、戦争を生きた方はお話の中で「戦争中は、命は鳥の羽よりも軽いと教えられていたし、そう思っていたよ。命が大切なんて思いもしなかった」とおっしゃいました。中学生にこの話を伝えると本当に驚いた顔をします。

 戦時中、金城学院の生徒達も学徒動員として工場に行きました。
 工場に行くときに、ある教師は「これからは、学校とちがって先生たちが直接皆さんを指導することはできなくなると思う。だから、自分でよく判断して行動してほしい。特に、何よりも大切なのは生命であるから、何としても自分の生命は自分で守るように」と声をかけたそうです。
 卒業生の一人は、その時のことをこう振り返ります。「その時、私は涙があふれました。ほかの女学校では、毎日のように〝皆さんの生命は、もう無いのです。国のために死ぬのが最高の生き方です″とおそわってきたのですから。はっきりこのように言ってくださる末包先生の勇気に感動して〝ああ、金城に入ってよかった″としみじみ思ったのです」

絵はがき

「15歳の語り継ぐ戦争―金城学院中学生の壁新聞と平和かるた」展は、ピースあいち2階プチギャラリーで8月31日まで開催中

 この文章を紹介すると、生徒たちは「金城生でよかった」という感想を持ちます。それも一人の生徒ではありません。
 この感想を持つとき、生徒たちは過去の中にいます。学徒動員された少女の気持ちになって、その当時の末包先生の言葉によって「自分の命が大切にされている」と感動するのです。また、この感想を持つとき、生徒たちは未来を見ています。現在、またはこの先もしも何かがあったとしても、金城の先生は生徒に対して「末包先生の持っていたのと同じスピリッツを持って行動してくれるに違いない」という期待と信頼、そして願いでもあります。

 戦争中だって生命は地球より重かったはずです。でも、同じ重さでは都合がつかなかった人々がいて、命の重さに順位が付けられていた。そして自分の命は軽いのだと思わされていた人々がいた。現在はどうでしょうか。そして未来はどうなのでしょうか。時代が違っても、国が違っても、生命の重さに違いはない。その事実(個人の尊重)に向き合っていきたいです。

■来館者アンケートから

私は金城学院卒業生です。10年ほど前に自分も作った「平和新聞」が現在も続いていて、今日見る事ができて嬉しかったです。一度は来てみたいと思っていた「ピースあいち」。戦争の悲惨さや人々の「生」の思いを感じることができました。私は、社会科の教員です。平和への道を考えることができる子どもたちを育てたいと思い、教員になろうと思いました。実際の教育現場では、そんなことを考える暇もない程、大変ですが、何とか、過去から「今」を考えることが出来る子どもを育てたいと思います。(24歳女)