「民間戦没船と船員の記録展」―再び船員を徴用か?
「名古屋造船所と戦時標準船」と「朝鮮戦争とLST」
ボランティア 榊山 潤            

    

絵はがき

榊山さんによる解説

 「名古屋造船所」は戦時中、現在の港区にあり、「戦時標準船」を建造していました。戦時標準船とは、戦時中に設計を簡素化、共通化して大量建造が行われた商船のことです。資材不足、労働者不足、さらには短時間での建造だったため、「轟沈型」などと仇名された欠陥船が多数完成してしまいました。
 今回の戦没船展では、名古屋造船所で働いた方から資料の寄贈があり、加えて協賛団体である「戦没船を記録する会」のご協力によって、新たに展示コーナーを作ることができました。
 名古屋造船所は残されている資料が少なく、幻の造船所と言っても良い存在です。またそこで造られた戦時標準船は、当時の日本の貧しい国力と戦争計画のずさんさを象徴し、前大戦で日本が無謀な戦争を行った一つの証拠として、後世に大きな教訓を残すものです。このたび、その2つに関する展示、ならびに解説を行えたことは意義深いと思います。

 次に紹介した「朝鮮戦争とLST」も、現在の日本人にとって非常に重大な歴史の事実です。
 LSTとは、第二次大戦中の米国が大量建造した戦車輸送艦のことで、ノルマンディー上陸や硫黄島、沖縄の戦いで上陸した米軍の兵站(へいたん)を支えるとともに、戦後は日本に供与されて復員輸送を行った、日本人とは奇妙な縁で通じている船です。
 そして日本人が操るそのLSTが、戦後の朝鮮戦争(1950-1953)で米軍の指揮下に組み込まれ、朝鮮半島の米軍への輸送のみならず、上陸作戦にすら参加していた事実を紹介しました。いまだ占領下にあったとはいえ、すでに平和憲法を施行していた日本人にとって、この事実は大きな教訓でしょう。

絵はがき

三宮克己さんによる語り

 今回、語っていただいた三宮克己さんは、このLSTの船員として、朝鮮半島における上陸作戦や輸送作戦に従事しました。幸いにも、三宮さんの船が沈むことはありませんでしたが、三宮さんが体験したのは、一歩間違えれば自らも戦死しかねない厳しい戦場の現実でした。

 今回の展示の副題でもある、「再び船員を徴用か?」の事態はすでに60年前に朝鮮戦争で実質的に発生し、犠牲者も出ています。太平洋戦争において膨大な犠牲者を出したにも関わらず、船員は戦後も国の都合で戦争の矢面に立たされた事実がそこにありました。そしてそうした事態が、今後、表立って起こるかもしれません。
 非常に短期間の展示であり、拙い解説ではございましたが、三宮さんの語りなども加えて、展示を見ていただいた方々にそうした歴史を知っていただき、今後起こり得るかもしれない事態を考えていただけたならば幸いです。

絵はがき絵はがき

展示会場