「平和」という名の一本道
運営委員  斎藤 孝            

    

 「ピースあいち」は、この春、オープンして9年目に入ることになりました。これを前にして、常設展のリニューアルをすることにしました。再訪された方が、「大分、展示の模様が変わりましたね」と話されていました。戦時の遺品の幾つかも取り変え、解説文も改訂したりして一層の充実を図りました。これらの品々や解説文には、ミカン色のラベルが貼ってあります。

絵はがき

戦陣訓の展示
東条英機が読み上げる音声も聞ける。

 このたびのリニューアルに当たって、新たに加わったものの一つに「戦陣訓」があります。これは昭和16年(1941)1月8日、当時の東条英機陸軍大臣が陸軍の軍人に訓示したもので、その内容は陸軍の本質、個人の心得、戦陣の戒め、戦陣のたしなみなどからなっています。そのなかに、このような一節があります。「死して虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず、生きて罪科(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」と。「軍人勅諭」と併せて、「天皇のために死ね」と教えたのです。
 この戦陣訓は、「大日本帝国憲法」と「教育勅語」と一体となって、国民を先の戦争遂行に駆り立てたのです。大日本帝国憲法は「明治憲法」とも呼ばれ、日本が近代国家になろうとする時に制定されたものです。形は立憲主義を取っていますが、その内実は天皇が統治権の総覧者であり、内閣の権限が及ばない陸海軍の統帥権を持つという「絶対君主制」に近いものでした。このため、昭和の時代に入って軍部の暴走がはじまり、戦争を拡大して悲惨な敗戦になったという次第です。

 先の戦争後、私の職場では8月15日の正午に戦没者を慰霊する黙祷が行われていました。その黙祷のとき、その年に採用されたばかりの若い女性が、「私とは関係ないわ」と呟きました。先の戦争が終わったとき、4歳か5歳であったろうと思われます。この人に戦争責任はない。彼女の言うとおりだと私は思いました。責任もないのに黙祷させられる。そのことにちょっぴり不満を漏らしたのかもしれません。  
 しかし、彼女はもっと根源的な抗議をしたのかもしれません。彼女自身、そのことを自覚して呟いたかどうか。自覚していなくてもいいのです。彼女がぽつんと呟いた、その一言は戦争を引き起こした人々、戦争を止めなかった人々への問いであったと解すべきだと思うからです。
 戦争を体験した人々に対して、「貴方は、これまで何をしたのか、何をしなかったのか」という問いであり、「戦争に敗れたあと、何をしたのか」という問いであろうと思うのです。いま、私たちは何をなすべきか。それは8月15日の黙祷のとき、ぽつりと呟いた一人の若い女性の問いに答えることに他ならぬと思う私です。

 この国での最後の戦争が終わって70年余、私たちは、「平和」という一本道を歩んできました。ところが、「一強多弱」を手にした安倍保守政権は、暴走をはじめました。ここにきて、いま目前に二差路があります。右の道をいけば戦場に出会います。私たちは道を誤ることなく、「平和の道」を歩き続けたいものです。