私の誕生日は…
村松 寿人  (南区在住)            

    

 謹んでお手紙差し上げます。
 歴史の真実を伝承し、反戦・平和の活動に資するためのご奮闘に敬意を表します。
 季節はうららかであるべき春ですが、憲法を破り戦争参加の道に傾斜を強める政権のもとで大自然災害も発生、ニホン社会は激動に包まれています。

 私は、1944年15歳の時、戦時下の東南海地震に遭遇、強制連行されていた朝鮮女子勤労挺身隊の同年齢の少女たちと共に働いていて、三菱重工名古屋道徳工場の東南海地震による倒壊の惨劇を体験した歴史の証人ですが、戦後は伊勢湾台風被災による名古屋南部地域の惨状も体験し、戦争と平和、地震、風水害問題への関わりを抱いて人生を経過してきました。
 私は、1929年12月6日生まれですが、入籍は11月30日生まれであることについて、その真実を戦後に知りました。祖父などの意見で11月30日生まれで入籍したのです。

 当時、徴兵検査役の義務があり、11月生まれまでは満20歳の年に兵役に就き、12月生まれは翌年生まれの者と同時に扱われたそうです。そのことを知り、私は咄嗟に「一刻も早く天皇陛下の役に立つように」ということで入籍を早めたのかと思いました。そこでよく確かめました。そうしたら祖父たちは「12月生まれで1年後回しにされたら同年の者が軍隊では星ひとつ上になっていて、お前は同級生に殴られる立場になる。軍隊はどうしても行かなきゃならんとこだから、同級生と共に1年でも早く義務兵役を終わってほしいという親族の気持ちがあってのことだ」と知らされ、これも愛情だったのかと知りました。そして、実行効果は本山革新市政で設けられた敬老パスを1カ月早く手にしたことぐらいでした。