岡村学芸員(丸木美術館)《原爆の図》を語る(ギャラリートーク)
―岡村さんに密着して―
ボランティア 丸山泰子            

    

 3月20日(日)、当館において《原爆の図》丸木美術館学芸員岡村幸宣(おかむらゆきのり)さんのギャラリートークが行われました。岡村さんはまだ寒さの残る埼玉県より、お約束の時間より早く「ピースあいち」においで下さいました。
 休憩もそこそこに、後半使用するパワーポイントを確かめた後、早速3階展示室で、つい10日ほど前まで丸木美術館にあった《原爆の図》第4部「虹」(1951年)と、第8部「救出」(1954年)に対面していただきました。今回「ピースあいち」ではジグザグの屏風仕立てではなく一面のフラットに、しかも台上ではなくほとんど我々と同じ目線の高さに展示、また丸木美術館より照明も明るく、岡村さんにとっても新鮮に出合い直す機会になったようです。初めて《原爆の図》に出合ったように熱心に御覧になっていたのが印象的でした。

絵はがき

 定刻きっかりに2作品を前にして岡村さんのギャラリートークを開始。そのまま原稿にできるような、いつもながらの穏やかな語り口で約30分。2作品の特徴を中心に《原爆の図》の全体像や丸木夫妻のことなど分かりやすく解説して下さいました。40名のお客様は岡村さんの言葉に耳を傾け、熱心に作品に見入っておられました。遠く長野からおいでいただいたお客様もありました。

絵はがき

 後半は、1階交流のひろばで昨年約半年間に渡って6作品の巡回展が行われたアメリカ展(ワシントンD.C.、ボストン、ニューヨーク)の報告をパワーポイントの映像を交えながらお話し下さいました。質問タイムを入れて1時間たっぷり、こちらも大変興味深く、皆さん時間を忘れて熱心に聞き入り質問もして下さいました。このアメリカ展がきっかけとなってこの秋には、ドイツに《原爆の図》の2作品が渡るそうです。ちなみに、岡村さんはアメリカ展のため7回訪米されたということです。大活躍の岡村さんです。

 アメリカ展の模様や丸木美術館についてより詳しくお知りになりたい方は、岡村さんのブログ「丸木美術館学芸員日誌」 http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/  がお勧めです。

 今回の展示に当たり、《原爆の図》2作品のほかに、丸木美術館・小高文庫で丸木俊さんが愛用していた硯、墨、筆などの品々や、俊の描いた戦時中の絵本を始め、俊の初めての著作『絵ハ誰デモ描ケル』や俊の自叙伝『生々流轉』など、今ではほとんどみることのできない貴重な書籍もお借りして展示しています。占領下の《原爆の図》国内巡回展の感想文集なども御覧いただけます。

 なぜ3月に「ピースあいち」で「原爆の図展」なのか。オープニングの日に記者さんから出た質問です。
 「キノコ雲の下にいた人間を描きたい」と丸木夫妻が描き始めた絵でしたが、その後30年にわたって描きつづけた丸木夫妻の思いが、「3.11後、《原爆の図》の見方が変わった」とおっしゃった岡村さんの言葉につながったように思います。8月ではなく、3月の開催に大きな意味があると考えます。