戦争の夏、八月を迎えて・同級生への手紙            ボランティア 佐藤 かずお



 A子 さま
 残暑お見舞い申し上げます。
 その後もお変わりなく絵の勉強などに精進しておられることと思います。
 過日開催された小・中学校時代の同級生によるミニミニ同窓会は、小学校5・6年生時の担任K先生(男先生)を交えて本当に楽しい一時を過ごすことができましたね。

語り手

 さて、その折に貴女から「叔父(母の弟)が戦地から家族に宛てた手紙を亡母から預かっていたが、変体仮名で書かれていて解読できない。誰か読める人はいない?」と相談のあった件についてですが、先日、K先生から読み解いた文章を頂戴しました。

語り手

 手紙を初めて拝見したときには、とても達筆であることと、添えられていた玄人はだしの部隊のスケッチ画に感嘆した訳ですが、この度、その文面に接して改めて、家族の幸せや日本の将来を思う気持ちに感動を覚えました。  その叔父は1937(昭12)年に中国戦線で死亡されたとのことですが、二十歳そこそこの若者の考えがとてもしっかりしていて、それを伝える表現能力に長けていたことに驚かされました。過日の新聞の大林宣彦映画監督のインタビュー記事にあった戦死の若者等についての「見事に生きた死者。生者はどうだろう、だらしなくないか」が一瞬、頭をよぎりました。

  

 戦争の夏、八月を迎えて・・・小生がボランティアをしている戦争と平和の資料館「ピースあいち」でも企画展「戦争と若者 断ち切られた命と希望」展を開催中ですが、いつになく、親子づれや若者の姿が目立ちます。
 今の社会を顧みるとき、世の風潮は、何よりも経済最優先!!の感が強いように思われます。
 安倍政権もその辺りを見越してか、アベノミクスとやらで内閣支持率を確保しながら、かつてない程のイケイケドンドンの政策を展開しています。
 福島原発事故による放射能汚染で、12万人を超える人々がいまだに自宅に戻れないなか(永久に戻れない地域も)、メルトダウンした核燃料に手がつけられないなか、放射能汚染水の処理が困難を極めているなか、そして使用済核燃料の処分方針も決まらないなか、原発の再稼働や新設工事を容認しようとしています。
 地元自治体に原発事故を想定しての地域防災計画や避難計画の策定を義務づけての原発再稼働容認などは、世の中、狂っているとしか思えません。
 その上、安倍首相自らがセールスの陣頭に立って、原発の輸出すら押し進めようとしています。原発だけでなく、武器輸出三原則を歪めて、武器の輸出もなし崩し的に拡大しようとしています。

 

 極めつけは、集団的自衛権行使容認の閣議決定ではないでしょうか。
 安倍首相はその必要性について、近隣諸国を取り巻くかつてない緊迫情勢を挙げ、積極的平和主義による抑止力とせんがため・・・と説明しています。
 でも、よくよく考えてみれば、「武力行使」を前提とした抑止力は際限のない軍拡を招くのではないでしょうか(抑止力のゆきつくところは核武装となるでしょう)。また、武力行使容認の日本はテロの対象となりかねません。
 それより何より、問題となっている近隣諸国とのかつてない緊迫情勢は日本の政治家そのものが招いた結果ではないでしょうか?
 石原慎太郎元東京都知事の尖閣列島公有化策(尖閣問題は日中国交回復時に「棚上げ」で合意されていたとも聞きます)や安倍首相自身による「従軍慰安婦発言」(日本軍の関与が立証されていないとの発言?)やA級戦犯合祀の靖国神社参拝(天皇陛下はA級戦犯合祀後、靖国神社に参拝していない)などの近隣諸国民の感情を逆なでするような行為の結果としての緊迫情勢ではないでしょうか?
 私には、これら民族主義に凝り固まった政治家の行為は、緊張を生み出すための確信犯的行為のように思われてなりません。

 

 今、世論の中には若者や女性の間でも、「国を守るためには、集団的自衛権行使の容認もやむなし」との考え方が少なからずあるようです。
 でも、その人たちは、人も住まないあの岩礁だけの尖閣列島や竹島のために自ら銃を持って、最前線で闘う決意を持ったうえでの賛成なのか?と問うてみたい気がします。
 武力行使を容認するかどうか?の選択にあたっては、他人の血であがなう自衛や平和であってはならず、自らが命を賭ける覚悟の有無を含めて考える必要性を感じます。特に政治家にはそれを求めたいと思います。
 領土問題はしかるべき国際司法裁判での解決を探ったり、経済水域等の問題であれば、共同開発等による解決の途もあるのではないでしょうか。
 政治家には外交力を磨いての問題解決を最優先してもらいたいものです。

 

 集団的自衛権行使容認によって、確実に自衛隊員のなり手が減ることでしょう。その先に見えてくるのは「徴兵制ではないか?」との心配があります。
 その前段として、格差社会の下で正規の仕事に就けずに苦しんでいる若者に好条件を提示しての入隊勧誘があるかもしれませんが(その手は、すでにアメリカの海兵隊員確保の方策として実践済です)、いずれにしても徴兵制が俎上に上ってくるのは間違いのないことでしょう。

 

 A子さん、貴女の叔父は二十歳そこそこで戦地中国において無念の死を遂げられたわけで、その叔父を誰よりも愛しておられたという母上の、その後の無念さはいかばかりだったかと思います。私の伯父も同じ頃に中国で戦死しており、母は何時もその兄の名前を呼んでは無念がっていました。
 かつて、15年戦争では、日本人の310万人、アジア全体では2,000万人という犠牲者を出したといわれています。しかし、そうした壮絶なる犠牲を強いた為政者たちは、何時だって安全な場所に身をおき、美味しいものを食べ、旨い酒を呑んでいたとも言われています。
 しかし、国民も国民・・・だったのかもしれません。南京を攻略(占領)時には、日本各地で提灯行列をして祝ったそうではありませんか。
 今、戦争の悲惨さをあげて、「だから戦争はしないようにしましょう」と言われることが多いようですが、国民一人ひとりが「犠牲の原因としての加害責任」にも目を向けないと、同じことが繰り返されるような気がします。
 戦争は何時だって「自衛」の装い(石油確保のためだとか)でやって来て、一旦始まればあとへは引けなくなります。
 そういう点で、今はとても危険な状況となっているような気がします。

 

 私たちの世代は平和憲法に守られて、経済発展を遂げ、良い時代を生きてきました。
 平和の食い逃げをすることにならないように、孫子の世代に何としても平和な日本をバトンタッチできるように・・・そして「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」の約束にたがえることとならないようにしたいものです。
 「平和は願っているだけでは、かなえられるものではない」とも言われます。
 私は「ピースあいち」で、平和学習に訪れる小・中学生に展示ガイドをしたり、平和問題を取りあげた新聞記事をコピーして皆さんに配ったり、戦争をさせない1000人委員会の「集団的自衛権の行使容認に反対し、戦争をさせない全国署名」に取りくむなど少しずつ頑張っています。
 愚痴話が長くなりました。元気に再会できる日を楽しみにしています。
                                                  敬具