◆一月に3人を喪う      事務局長  宮原 大輔



仲さん

子どもたちに戦争の体験を語る在りし日の仲直敏さん(ピースあいち1階)


 1月2日、ボランティアの仲直敏さんが亡くなられた。
 仲さんは長崎で原爆に被爆しました。爆心地から1.2km。当時学徒動員で三菱の兵器工場に勤務していたときでした。
 仲さんは絵を描くことが好きでした。「ピースあいち」にボランティアとして来るようになってから、自分の描いた被爆当時の油絵の紙芝居を見せながら、来館した小学生などに戦争体験を語っていました。「子どもが生まれるとき不安だった」と言われたこともありました。
 その10枚ほどの紙芝居は、今、1枚ごとに付けられた解説文と組み合わせ、約10分の映像作品として、1階の「現代の戦争と平和」のコーナーで上映されています。またそのうちの1枚は展示の中に拡大して組み込まれています。自分がいた工場が真っ赤に燃え上がり、鉄骨が崩れていく場面です。
 「ピースあいち」オープン5周年事業として「現代の戦争と平和」のリニューアルで長崎の被爆の写真を探していて、あれこれと本を広げていたとき、そこにいた仲さんが「ここが僕のいたとこだよ」と指差して言われました。私は驚いて「被爆した場所ですか」と聞くと、「そう」と答えられました。展示の中で、体験画の下にあるモノクロ写真「三菱茂里町工場」がそれです。
 仲さんは紙芝居の中で「戦争をしない国に、核のない国に」と語られていました。
 仲さん、あなたの穏やかな笑顔を忘れず、あなたが残した絵と体験とともに「ピースあいち」で継承していきます。

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加藤さん

お友達と「ピースあいち」に来てくれた加藤さん。前列右端


 同月23日、加藤たづさんが亡くなられました。
 加藤さんには現在の「ピースあいち」の土地と建築費を寄付していただきました。
 「愛知に戦争と平和の資料館を作る」活動のなかで、2005年5月に、東区の市民ギャラリーで「資料館モデル展」を開いたとき、その新聞記事を見た加藤さんから電話がありました。「なかなかできないようだね。自分の土地と建物を建てるお金を寄付するから、それでやったらどうか」というものでした。半信半疑ながら、スタッフの一人がその土地を見に行きました。
 今の「ピースあいち」はここから始まりました。それからオープンまで、建築設計、工事、展示計画、作成など、怒涛の2年間でした。おかげで、すばらしい資料館ができました。
 オープンして早くも7年を迎えようとしています。今、小学生たちが来館して戦争体験のお話を聞き、展示を見ていきます。いろんな展示会も開催されています。そしてここに集うボランティアは90人にもなり、にぎやかに創意あふれて活動しています。
 いま、「ピースあいち」に掲げられた加藤さんの写真は、にこやかにそんな「ピースあいち」を見ています。
 大金持ちでも資産家でもなく、質素な暮らしをしながら蓄えられたものを、社会のために使うというあなたの姿を見ながら、私たちは「ピースあいち」を守り育てていきます。

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南先生

「ピースあいち」開館4周年特別展(2011年9-11月)の会場で
「現代の戦争と平和」と題するこの展示会で、南先生は「世界の戦争・武力紛争地図」と「現代の主な戦争・武力紛争」のパネルを執筆された。


 同月25日、理事の南守夫さんが亡くなられました。
 まだ61歳という若さ。悔やまれます。
 先生と出会ったのは、2005年秋に東京・早稲田で開催された「平和博物館ネットワーク」の交流会でした。野間さん、斎藤さんと私の3人で参加し、野間さんが名古屋で資料館をつくることになったことを報告しました。その後の名刺交換が出会いの初めでした。愛知から参加されていることを知り、「ピースあいち」の建設に協力をお願いしました。
 ヨーロッパの現代史に詳しいだけでなく、南京大空襲被害訴訟や戦前の大府の飛行場建設強制連行問題など、現在の課題にも積極的に関わっておられました。
 先生は市民運動で「ピースあいち」ができることの意義をたいへん評価してくださっていました。展示を作りあげるにあたっては、力強い協力をいただきました。展示パネルの一言一句にわたるまで目を通して、問題点を詳しく説明してくれました。
 そもそも歴史の専門家でもない市民が歴史に関わる資料館を作ろうとしたのですから、先生は心配だったのかもしれません。しかしそのおかげで、ぶれのない展示ができたのです。
 5周年のリニューアルでは、現代の主な戦争・武力紛争の地図を作っていただきました。その詳細な地図と一覧表が1階に展示されています。
 なにかあれば南先生に聞けばいいと思ってしまっていました。もうお話を聞けないんですね。もっともっといろんなことを尋ね、聞き、学ばなければいけませんでした。そのことを悔やんでいます。