子どもたちが伝える戦争と平和 高見・大和学童保育所の子どもたち    運営委員  安井 真理子



象列車1

高見学童保育所の影絵「ぞうれっしゃがやってきた」
合唱組曲のBGMに合わせて、学童保育所に代々伝わる手作りした道具を使い、ナレーション、登場人物のセリフ、すべて子どもたち自身によるものでした。

 1月18日(土)の午後、「ピースあいち」で行われた高見学童保育所の影絵「ぞうれっしゃがやってきた」と大和学童保育所の群読「ながさき」の公演は、たいへん素晴らしいものでした。両保育所とも、日ごろから地道に平和学習を行っているため、子どもたちの語るセリフ一つひとつに気持ちがこもっていて、観客の心にずんずん響いてきます。この演目はそれぞれの学童で長く引き継がれているもので、いよいよ自分たちが上演する番がきたと張り切って取り組んでいる子どもたちの熱意と自主性が感じられるのです。

象列車2

大和学童保育所の群読「ながさき」
旅行で訪れた美しい街、長崎。でもそこはかつて原爆が投下された地だった。

 また、指導員の方と子どもたちとの信頼関係が深く、みな生き生きしているのが印象的でした。時間と場所の限られた学童保育所で、これほど完成度の高い公演を仕上げることができるのかとつくづく感心しました。
 当日の観客の一人だった「ピースあいち」ボランティアHさんは、20日月曜日に苦労して両学童保育所の電話番号を調べ、とても感動したことを伝えたそうです。学童保育所でこのような取り組みが行われていることを初めて知り、一筋の希望の光が見えた気がします。

■高見学童保育所の子どもたちからのメッセージ

象列車2

スクリーン裏側では、みんなで一生懸命に動きを合わせています。

 ぼくたちは、夏に「ピースあいち」に来て、当時のゾウ列車の新聞の記事を見ました。日本中で生き残った象が名古屋にしかいなかったことを知りました。また、当時のアドンやエルドたちが使っていた、たいこやごばんのりが今も東山動物園に展示してあるのを知って見に行きました。

 ぼくらは戦争中殺しあうだけでなく、命の大切さを訴え続けた名古屋の人たちがいたこと、象の命は、親を亡くした多くの子どもたちに夢や希望をあたえたことをみんなに伝えたくて今日の出し物にしました。みんなの中にはどう映ったでしょうか。

 この影絵は、20年前に学童の先輩たちがつくったものです。象も二人で動かすおおがかりなものです。音楽に合わせて人形をうごかすのはたいへんでした。みんなの気持ちがひとつにならないとうまくいきません。OHPは小学校からいただきました。たくさんの人の手で完成した影絵をたいせつに守っていきたいです。

 また、「ピースあいち」に行った時に、「はだしのげん」の原画展も見ました。絵から原爆・戦争のおそろしさが伝わってきました。さらに6年生は、1月4日から6日まで、神戸に卒所旅行に行きました。行く前に原爆や震災について学習しました。震災で多くの命がうばわれ悲しみは大きいです。戦争は人の手でやめることができます。未来は、命を大切にする社会であってほしいです。

■大和学童保育所指導員からのメッセージ

象列車2

被曝し水を求めてさまよう子

  

 今回の「ながさき」は33年の大和学童保育所開所以来4回目の公演となります。

 指導員の保育方針の中に、「命を大切にできる子に」というものがあります。家族、友達、まだ見ぬたくさんの命を大切に思える種を心に持って、6年間の学童での生活を感じ取ってもらえる保育をめざしています。その中のひとつとして、平和を考えられる子にもなってほしいと思い、さまざまなシーンで歴史に触れ、何を感じたかを高学年には自問してもらうように、保育の中で不自然にならないよう取り入れてきました。
 長い間には、保護者になかなか理解していただけないこともありました。地雷について、当時の政党すべてに子どもたちが手紙を書いたときには、ある政党から強く批判されました。戦争反対!と拳をあげているわけでもない、細やかな学習を理解していただくのに、誤解や時間のかかることもありました。何度も、私は気持ちが折れてしまいそうになりましたが、そんな私を子どもたちが毎回、平和が好き!という純粋な思いで支えてくれました。

 

 さて、「ながさき」に関してですが、6年生は2013年11月に、広島へ卒所旅行に行きました。卒所旅行というのは、6年生が自分たちで目的を持ち、行きたい場所や旅行内容を決め二泊三日で行くというものです。
 今回は毒ガス作りをした大久野島、広島が行先でした。たくさんのことを感じてきた6年生の思いは、「自分たちの平和への気持ちを多くの人に伝えたい!」というものでした。そこで、先輩たちが演じてきた「ながさき」を再演することで、自分たちの気持ちを表現していけるのでは?と指導員から提案してみました。長崎平和資料館のさまざまな資料をPCで開き、長崎の被害なども理解しました。また卒所旅行のまとめも作りました。

 この種は何年も心の中で力を蓄えることになるかもしれません。種のままで終わるかもしれません・・・しかし、2013年冬に確かに、種がまかれたと思います。先ずはそこから・・・。