◆常設展から◆「昭和と戦争(15年戦争)」B-3   
                                          ボランティア 亀山 正樹     


パネル 年表

ピースあいち常設展 「戦争の全体像・15年戦争」より

 この年表の前に立つと父方の祖父が一生かけて造った、家が昭和20年7月岐阜の空襲で焼けてしまった事(小生2歳半で若干記憶あり)、母方の祖父が軍医で2度の満州勤めをした話(祖父は日本軍が中国に対して認識不足であると言い、上層部に睨まれていた)等様々な事を思い出すと共に、二度と悲惨で多くの犠牲を出した戦争をしてはならないと思います。

 昭和元年から20年まで(以下昭和初期とします)の日本の歴史を見ると次のような事が考えられます。
 常に中国への侵略を企て昭和6年満州事変、昭和12年日華事変と徐々に中国との戦争範囲を拡大し、さらには昭和16年世界を相手に太平洋戦争に至り、昭和20年敗戦を経験する事になった。
 何故このような事態が発生したのか?
 理由は概ね次の3点ではないかと思われます。
①経済不況を打開するために中国へ侵略した事。
②政党政治が軟弱で軍部が介入し、政党政治を崩壊させ戦争へ暴走した事。
③日清、日露戦争に勝ち軍部(特に陸軍)が異常な力を持ち、かつ国際情勢に偏見を持った事。-ドイ
 ツ、イタリアの力を過大評価した反面アメリカ、中国に対し過小評価をしていた事。
 

ピースあいち常設展「戦争の全体像・15年戦争」

ピースあいち展示室


 

 最近の世相を見ると昭和初期に似た現象が散見されます。
①政党政治の軟弱さ-昭和初期には後世に残る人物もいたが。現在は?
②経済不況
③国際情勢に対する認識不足
 現在は軍隊がないので、かろうじて平和を保っています。

   皆様ぜひ「ピースあいち」へお越しいただき、この年表を見ていただき感想をお伺いする機会があれば幸いと思います。

 なお、ピースあいち1階常設展「現代の戦争と平和」がリニューアルしました。 この機会にお越し下さいますようお願い申し上げます。